・・・其題に曰く学術技科の進闡せしをば人の心術風俗に於て益有りしと為す乎将た害ありしと為す乎とルーソー之を読みて神気俄に旺盛し、意思頓に激揚し自ら肺腸の一変して別人と成りしを覚え、殆ど飛游して新世界に跳入せしが如し。因て急に鉛筆を執りファプリシュ・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・Y署の二十九日が終ると、裁判所へ呼び出されて、予審判事から検事の起訴理由を読みきかせられた。それから簡単な調書をとられた。「じゃ、T刑務所へ廻っていてもらいます。いずれ又そこでお目にかゝりましょう。」 好男子で、スンなりとのびた白い・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ 三郎はすぐにそれへ目をつけた。読みさしの新聞を妹やお徳の前に投げ出すようにして言った。「こんな、罪もない子供までも殺す必要がどこにあるだろう――」 その時の三郎の調子には、子供とも思えないような力があった。 しかし、これほ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・乙、半ば飲みさしたる麦酒の小瓶を前に置き、絵入雑誌を読みいる。後対話の間に、他の雑誌と取り替うることあり。甲。アメリイさん。今晩は。クリスマスの晩だのに、そんな風に一人で坐っているところを見ると、まるで男の独者のようね。・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・此をお読みになる時は、熱い印度の、色の黒い瘠せぎすな人達が、男は白いものを着、女は桃色や水色の薄ものを着て、茂った樹かげの村に暮している様子を想像して下さい。 女の子が、スバシニと云う名を与えられた時、誰が、彼女の唖なことを思い・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・印刷所の手落ちでは無く、兄がちゃんと UMEKAWA と指定してやったものらしく、uという字を、英語読みにユウと読んでしまうことは、誰でも犯し易い間違いであります。家中、いよいよ大笑いになって、それからは私の家では、梅川先生だの、忠兵衛先生・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・格別読みづらくはない。いよいよ遣らなくてはならないとなると、遣れるものだと、自分で満足した。 そう思うと同時に、平生の傲慢が萌す。幸な事には、いつまでもこんな事をする必要がない。出来たからって、えらがるのは、沙汰の限りだ。こう思うと、頗・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・一人の肥った方の娘は懐からノートブックを出して、しきりにそれを読み始めた。 すぐ千駄谷駅に来た。 かれの知りおる限りにおいては、ここから、少なくとも三人の少女が乗るのが例だ。けれど今日は、どうしたのか、時刻が後れたのか早いのか、見知・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 花を尋ねたり、墓を訪うたり、美しい夢ばかり見ていたあの頃の自分には、このイタリア人は暗い黄泉の闇に荒金を掘っている亡者か何かのように思われた。とにかく一種侮蔑の念を抑える訳に行かなかった。日露戦争の時分には何でもロシアの方に同情して日・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・と改名すると、急にたちが悪くなるように見える。昔は「五月蠅」と書いて「うるさい」と読み、昼寝の顔をせせるいたずらもの、ないしは臭いものへの道しるべと考えられていた。張ったばかりの天井にふんの砂子を散らしたり、馬の眼瞼をなめただらして盲目にす・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
出典:青空文庫