・・・この点は、成人を相手とする読物以上に骨の折れることであって、技巧とか、単なる経験有無の問題でなく天分にもよるのであるが、また、いかに児童文学の至難なるかを語る原因でもあります。 もし、その作者が、真実と純愛とをもって世上の子供達を見た時・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・「私、今日、デパートへ寄るから、良ちゃんにいいのを買ってきてあげるわ。」と、お姉さんは、いいました。すると、たちまち、良ちゃんの目はかがやきました。「ほんとう? お姉ちゃん、僕にぴかぴかした、シャープ=ペンシルを買ってきてくれる?」・・・ 小川未明 「小さな弟、良ちゃん」
・・・と肩先を揺る。 私は睡ったふりもしていられぬので、余儀なく返事をして顔を挙げた。そして上さんのさしだす宿帳と矢立とを取って、まずそれを記してから、「その……宿代だが、明朝じゃいかんでしょうか。」「明朝――今夜持合せがないのかね。・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・と新五郎は老眼を数瞬きながらいざり寄る。「どうかお光の力になってやって……阿父さん、お光を頼みますよ……」「いいとも! お光のことは心配しねえでも、俺が引き受けてやるから安心しな」「お光……」「はい……」「お前も阿父さん・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・無茶しよる。水風呂やがな。こんなとこイはいって寒雀みたいに行水してたら、風邪ひいてしまうわ」そして私の方へ「あんた、よう辛抱したはりまんな。えらい人やなあ」 曖昧に苦笑してると、男はまるで羽搏くような恰好に、しきりに両手をうしろへ泳がせ・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・事に寄ると、骨は避けているかも知れんから、そうすれば必ず治る。国へ帰って母にも逢える、マ、マ、マリヤにも逢える…… ああ国へはこうと知らせたくないな。一思に死だと思わせて置きたいな。そうでもない偶然おれが三日も四日も藻掻ていたと知れたら・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・それによると御病気の様子、それも例の持病の喘息とばかりでなく、もっと心にかかる状態のように伺われますが、いかがでございますか、せっかくお大事になさいますよう祈ります。私の身は本年じゅうには解決はつくまいと覚悟しております。…… ああ! ・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・「とにかく明日は君のところへ寄るから」と、土井は別れる時私に言った。三 笹川は、じつに怖い男だ。彼は私の本体までもすっかり研究してしまっている。そしてもはや私は彼にとっては、不用な人間だ。彼は二三度、私を洲崎に遊びに伴れて行・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・「今日はひょっとしたら大槻の下宿へ寄るかもしれない。家捜しが手間どったら寄らずに帰る」切り取った回数券はじかに細君の手へ渡してやりながら、彼は六ヶ敷い顔でそう言った。「ここだった」と彼は思った。灌木や竹藪の根が生なました赤土から切口・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・友達が連れて帰ってくれたのだったが、その友達の話によると随分非道かったということで、自分はその時の母の気持を思って見るたびいつも黯然となった。友達はあとでその時母が自分を叱った言葉だと言って母の調子を真似てその言葉を自分にきかせた。それは母・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
出典:青空文庫