・・・それを十六本、右撚りなら右撚りに、最初は出来ないけれども少し慣れると訳なく出来ますことで、片撚りに撚る。そうして一つ拵える。その次に今度は本数を減らして、前に右撚りなら今度は左撚りに片撚りに撚ります。順に本数をへらして、右左をちがえて、一番・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・そのかかりにはとかくに魚が寄るものであります。そのかかりの前へ出掛けて行って、そうしてかかりと擦れ擦れに鉤を打込む、それがかかり前の釣といいます。澪だの平場だので釣れない時にかかり前に行くということは誰もすること。またわざわざかかりへ行きた・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・鳥は木により、さかなはかかり、人は情の蔭による、なんぞという「よしこの」がありますが、かかりというのは水の中にもさもさしたものがあって、其処に網を打つことも困難であり、釣鉤を入れることも困難なようなひっかかりがあるから、かかりと申します。そ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・松吟庵は閑にして俳士髭を撚るところ、五大堂は寂びて禅僧尻をすゆるによし。いわんやまたこの時金風淅々として天に亮々たる琴声を聞き、細雨霏々として袂に滴々たる翠露のかかるをや。過る者は送るがごとく、来るものは迎うるに似たり。赤き岸、白き渚あれば・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・伝説に依ると、水内郡荻原に、伊藤豊前守忠縄というものがあって、後堀河天皇の天福元年(四条天皇の元年で、北条泰時にこの山へ上って穀食を絶ち、何の神か不明だがその神意を受けて祈願を凝らしたとある。穀食を絶っても食える土があったから辛防出来たろう・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ これ私の性の獰猛なるに由る乎、癡愚なるに由る乎、自分には解らぬが、併し今の私に人間の生死、殊に死刑に就ては、粗ぼ左の如き考えを有って居る。 二 万物は皆な流れ去るとヘラクリタスも言った、諸行は無常、宇宙は変化の・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・――娘の話によると、レポーターとかいうものをやっていて、捕かまったそうです。 ところが娘は十日も家にいると、またひょッこり居なくなるのでした。そして二三ヵ月もすると、警察から又呼びだしがきました。今度は別な警察です。私は何べんも頭をさげ・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・――俺はいきなり窓際にかけ寄ると、窓枠に両手をかけて力をこめ、ウンと一ふんばりして尻上りをした。そして鉄棒と鉄棒の間に顔を押しつけ、外へ向って叫んだ。「ロシア革命万歳」「日本共産党バンザアーイ」 ワァーッ! という声が何処かの―・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・その中途にある小屋へ声を掛けに寄ると、隠居さんは無慾な百姓の顔を出して、先生から預かっている鍵を渡した。「高瀬さんに一つ、私の別荘を見て頂きましょう」 と言って先生は崖に倚った小楼の方へ高瀬を誘って行った。「これが湯の元です」という・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・どうして、おせんが地味な服装でもして、いくらか彼の方へ歩び寄るどころか。彼女は今でもあの通りの派手づくりだ。若く美しい妻を専有するということは、しかし彼が想像したほど、唯楽しいばかりのものでも無かった。結婚して六十日経つか経たないに、最早彼・・・ 島崎藤村 「刺繍」
出典:青空文庫