・・・彼は最後に身を起こすが早いか、たちまち拳骨をふりまわしながら、だれにでもこう怒鳴りつけるであろう。――「出て行け! この悪党めが! 貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、ずうずうしい、うぬぼれきった、残酷な、虫のいい動物なんだろう。出ていけ! こ・・・ 芥川竜之介 「河童」
島木さんに最後に会ったのは確か今年の正月である。僕はその日の夕飯を斎藤さんの御馳走になり、六韜三略の話だの早発性痴呆の話だのをした。御馳走になった場所は外でもない。東京駅前の花月である。それから又斎藤さんと割り合にすいた省・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・伊勢は七度よいところ、いざ御案内者で客を招けば、おらあ熊野へも三度目じゃと、いわれてお供に早がわり、いそがしかりける世渡りなり。 明治三十八乙巳年十月吉日鏡花、さも身に染みたように、肩を震わすと、後毛がまたはらはら。「寒く・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・「うん早稲だからだよ」「わせってなにお父さん」「早稲というのは早く穂の出る稲のことです」「あァちゃんおりてみようか」「いけないよ、家へ行ってからでも見にこられるからあとにしなさい」「ふたりで見にきようねィ、あァちゃん・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・「田村先生、お早う」「お前かい?」「来たら、いけないの?」ぴッたり、僕のそばにからだを押しつけて坐った。それッきりで、目が物を言っていた。僕はその頸をいだいて口づけをしてやろうとしたら、わざとかおをそむけて、「厭な人、ね」・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・で三月、やがて自由党の壮士の群れに投じて、川上音次郎、伊藤痴遊等の演説行に加わり、各地を遍歴した……と、こう言うと、体裁は良いが、本当は巡業の人足に雇われたのであって、うだつの上がる見込みは諦めた方が早かったから、半年ばかり巡業についてまわ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆に陥った天才にも似ている! この空想はいつも私を悲しくする。その全き悲しみのために、この結末の妥当であるかどうかということさえ、私にとっては問題ではなくなってしまう。しかし、はたして、爪を抜かれた猫・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・辰弥は生得馴るるに早く、咄嗟の間に気の置かれぬお方様となれり。過分の茶代に度を失いたる亭主は、急ぎ衣裳を改めて御挨拶に罷り出でしが、書記官様と聞くよりなお一層敬い奉りぬ。 琴はやがて曲を終りて、静かに打ち語らう声のたしかならず聞ゆ。辰弥・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・「げに月日経つことの早さよ、源叔父。ゆり殿が赤児抱きて磯辺に立てるを視しは、われには昨日のようなる心地す」老婦は嘆息つきて、「幸助殿今無事ならば何歳ぞ」と問う。「紀州よりは二ツ三ツ上なるべし」さりげなく答えぬ。「紀州の歳ほど・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ましてそれは早期の童貞喪失を伴いやすく、女性を弄ぶ習癖となり、人生一般を順直に見ることのできない、不幸な偏執となる恐れがあるのである。 学生時代に女性侮蔑のリアリズムを衒うが如きは、鋭敏に似て実は上すべりであり、決して大成する所以ではな・・・ 倉田百三 「学生と生活」
出典:青空文庫