・・・鈴の音が聴えるのはアイスクリーム屋だろうか夜泣きうどんだろうか。清水町筋をすぐ畳屋町の方へ折れると、浴衣に紫の兵古帯を結んだ若い娘が白いワイシャツ一枚の男と肩を並べて来るのにすれ違った。娘はそっと男の手を離した。まだ十七八の引きしまった顔の・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 別製アイスクリーム、イチゴ水、レモン水、冷やし飴、冷やしコーヒ、氷西瓜、ビイドロのおはじき、花火、水中で花の咲く造花、水鉄砲、水で書く万年筆、何でもひっつく万能水糊、猿又の紐通し、日光写真、白髪染め、奥州名物孫太郎虫、迷子札、銭亀、金・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・――物音はみな、あるもののために鳴っているように思えた。アイスクリーム屋の声も、歌をうたう声も、なにからなにまで。 小婢の利休の音も、すぐ表ての四条通ではこんなふうには響かなかった。 喬は四条通を歩いていた何分か前の自分、――そこで・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ただ笑って、お客のみだらな冗談にこちらも調子を合せて、更にもっと下品な冗談を言いかえし、客から客へ滑り歩いてお酌して廻って、そうしてそのうちに、自分のこのからだがアイスクリームのように溶けて流れてしまえばいい、などと考えるだけでございました・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・アメリカ映画はヤンキー教の経典でありチューインガムやアイスクリームソーダの余味がある。ドイツ映画には数理的科学とビールのにおいがあり、フランス映画にはエスカルゴーやグルヌイーユの味が伴なう。ロシア映画のスクリーンのかなたにはいつでも茫漠たる・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・それから、五丁目あたりの東側の水菓子屋で食わせるアイスクリームが当時の自分には異常に珍しくまたうまいものであった。ヴァニラの香味がなんとも知れず、見た事も聞いた事もない世界の果ての異国への憧憬をそそるのであった。それを、リキュールの杯ぐらい・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 三 杏仁水 ある夏の夜、神田の喫茶店へはいって一杯のアイスクリームを食った。そのアイスクリームの香味には普通のヴァニラの外に一種特有な香味の混じているのに気がついた。そうしてそれが杏仁水であることを思い出すと同時・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ ずっと前のことであるが、ある夏の日銀座の某喫茶店に行っていたら、隣席に貧しげな西洋人の老翁がいて、アイスクリームを食っていた。それが、通りかかったボーイを呼び止めて何か興奮したような大声で「カントクサン、呼んでください。カントクサン、・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・ ある夕方一同が涼み台と縁側に集まっていろんな話をしている間に、去年みんなである夜銀座へ行ってアイスクリームを食った時の話が出た。それを聞くと八重子と冬子が今年も銀座へ連れて行ってくれと云い出した。実際昨年行ったきりでその後一度も行かな・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・女子の学校などでも一日に百二十本のアイスクリームを売って、汗にまびれてけなげにアルバイトして勉強している学生と、文化的な外見をもちながら、生活の中心が全く腐敗してしまっている女子学生とがある。もしこのような今日の現実を、「あれはあの人たちだ・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
出典:青空文庫