・・・とは何かと云うと、これはイエス・クリストの呪を負って、最後の審判の来る日を待ちながら、永久に漂浪を続けている猶太人の事である。名は記録によって一定しない。あるいはカルタフィルスと云い、あるいはアハスフェルスと云い、あるいはブタデウスと云い、・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・、聖書を単に道徳の書と見て其言辞は意味を為さない、聖書は旧約と新約とに分れて神の約束の書である、而して神の約束は主として来世に係わる約束である、聖書は約束附きの奨励である、慰藉である、警告である、人はイエスの山上の垂訓を称して「人類の有する・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・もし芥種のごとき信仰あらば、この山に移りてここよりかしこに移れと命うとも、かならず移らん、また汝らに能わざることなかるべしとイエスはいいたまいました。またおおよそ神によりて生まるる者は世に勝つ、われらをして世に勝たし・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・「先日おいでになった時、大層御尊信なすっておいでの様子で、お話になった、あのイエス・クリストのお名に掛けて、お願致します。どうぞ二度とお尋下さいますな。わたくしの申す事を御信用下さい。わたくしの考ではもしイエスがまだ生きておいでなされた・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
小は大道易者から大はイエスキリストに到るまで予言者の数はまことに多いが、稀代の予言狂乃至予言魔といえば、そうざらにいるわけではない。まず日本でいえば大本教の出口王仁三郎などは、少数の予言狂、予言魔のうちの一人であろう。 まこと・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・あたかもあのナザレのイエスがイザヤの予言にかなわせんため、自己をキリストと自覚したのと同じように。釈迦の予言によれば、釈迦滅後、五百歳ずつを一区画として、正法千年、像法千年を経て第五の末法の五百年に、「我が法の中に於て、闘諍言訟して白法隠没・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ これはかつてニュートンが問うまで常人のものではなかった。姦淫したる女を石にて打つにたうる無垢の人ありや? イエスがこの問いを提出するまで誰も自分の良心に対してかく問い得なかった。財の私的所有ならびに商業は倫理的に正しきものなりや? マルク・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・「先日お出でになった時、大層御尊信なすってお出での様子で、お話になった、あのイエス・クリストのお名に掛けて、お願致します。どうぞ二度とお尋下さいますな。わたくしの申す事を御信用下さい。わたくしの考では若しイエスがまだ生きてお出でなされた・・・ 太宰治 「女の決闘」
イエスが十字架につけられて、そのとき脱ぎ捨て給いし真白な下着は、上から下まで縫い目なしの全部その形のままに織った実にめずらしい衣だったので、兵卒どもはその品の高尚典雅に嘆息をもらしたと聖書に録されてあったけれども、 妻・・・ 太宰治 「小志」
イエス其の弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々に出でゆき、途にて弟子たちに問ひて言ひたまふ「人々は我を誰と言ふか」答へて言ふ「バプテスマのヨハネ、或人はエリヤ、或人は預言者の一人」また問ひ給ふ「なんぢらは我を誰と言ふか」ペテ・・・ 太宰治 「誰」
出典:青空文庫