・・・しかし最後にオレンジだのバナナだのの出て来た時にはおのずからこう云う果物の値段を考えない訣には行かなかった。 彼等はこのレストオランをあとに銀座の裏を歩いて行った。夫はやっと義務を果した満足を感じているらしかった。が、たね子は心の中に何・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・と思うと窓の外へネエベル・オレンジが一つ落ちた。――その先はもう書かずとも好い。乞食は勿論オレンジに飛びつき、主計官は勿論笑ったのである。 それから一週間ばかりたった後、保吉はまた月給日に主計部へ月給を貰いに行った。あの主計官は忙しそう・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・山の畑にはオレンジの樹があり、日の落ちるときには海が紫色に光って、この町よりも、ずっときれいな町であります。」といいました。すると町の人はこれを聞いて、気持ちを悪くいたしました。「この町よりもきれいな町があるといったな。そんならなぜ・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・沖へ出てゆく漁船がその影の領分のなかから、日向のなかへ出て行くのをじっと待っているのも楽しみなものだ。オレンジの混った弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。「そんな病弱な、サナトリウム臭い風景なんて、俺は大・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・男と女が、コオヒイと称する豆の煮出汁に砂糖をぶち込んだものやら、オレンジなんとかいう黄色い水に蜜柑の皮の切端を浮べた薄汚いものを、やたらにがぶがぶ飲んで、かわり番こに、お小用に立つなんて、そんな恋愛の場面はすべて浅墓というべきです。先日、私・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・こんな時にはかたくななジュセッポの心も、海を越えて遥かなイタリアの彼方、オレンジの花咲く野に通うて羇旅の思いが動くのだろうと思いやった事もある。細君は珍しいおとなしい女で、口喧ましい夫にかしずく様はむしろ人の同情をひくくらいで、ついぞ近所な・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・しかし裾野の所々に熟したオレンジの畑は美しく、また日本の南国に育った自分にはなつかしかった。フニクラレの客車で日本人らしい人に出会って名乗り合ったら、それは地質学者のK氏であった。このケーブル線路の上の方の部分は近頃の噴火に破壊されていたの・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・○ 手術した晩に、安らかな気持なのだが頭の中がオレンジ色がかった明るさで、いかにも譫語が云いたくてたまらなかったのは面白い。薬のためにああいう状態になっているときの譫語は、全く我を知らずに口走るのではなくて、先ず、何かとりとめなく喋りた・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・二階の窓からは雨にぬれた銀杏樹の並木、いろんな傘をさした人の往来、前の電気屋のショーウィンドに円いオレンジ色のシェードが飾ってあるの等、活々と一種の物珍らしい美しさで暗い、臭いところから出て来た目に映った。 やがて、母親が室の外をのぞく・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 餌は牛乳、茶、スープ、キセリ、マンナヤ・カーシャ、やき林檎とオレンジの汁、その他は自身の皮下脂肪。 これ丈永い間病臥して半流動物の食物しか摂れない経験は始めてだ。 去年の一月、グリップを患った。熱が高くて頭や頸がこわばって一寸・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
出典:青空文庫