・・・遠い異郷から帰って来たイタリア人らは、いそいそと甲板を歩き回って行く手のかなたこなたを指ざしながら、あれがソレント、あすこがカステラマレと口々に叫んでいる。いろいろの本で読んだ覚えのある、そしていろいろの美しい連想に結びつけられたこれらの美・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ベンチの上にはしわくちゃの半紙が広げられて、その上にカステラの大きな切れがのっている。「あんな女の子がほしいわねえ」と妻がいつにない事を言う。 出口のほうへと崖の下をあるく。なんの見るものもない。後ろで妻が「おや、どんぐりが」と不意に大・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・露店で食う豚の肉の油揚げは、既に西洋趣味を脱却して、しかも従来の天麩羅と抵触する事なく、更に別種の新しきものになり得ているからだ。カステラや鴨南蛮が長崎を経て内地に進み入り、遂に渾然たる日本的のものになったと同一の実例であろう。 自分は・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・何のこたあない、ストーヴの中のカステラ見たいな、熱さには、ヨウリスだって持たないんだ。 で、水夫たちは、珍らしくもなく、彼を水夫室に担ぎ込んだ。 そして造作もなく、彼の、南京虫だらけの巣へ投り込んだ。 一々そんなことに構っちゃい・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・ 私はうれしさに我を忘れて一気に向うまで馳け抜けて見ると、丁度カステラの切り目そっくりながけが目の前に切ったって居る。 私には見当もつかない程低い低い下の方から先(ぐの足元まで這い上って居るそのの面は鋭い武器で切られた様に滑らかそう・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・祖母は婆さんに与うと思ってカステラを丁寧に切って居る。何にも慰みのない祖母は東京から送ってよこすお菓子を来る者毎に少しずつ分けてやって珍らしい御菓子だと云って喜ぶのを見るのを楽しみにして居る。田舎は時間と云う考が少ないのでいつと云う限りなし・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫