・・・これと反対の場合は映画における大写し、いわゆるクローズアップの場合である。この技術によって観客の目は対象物の直前に肉薄する。従って顔の小じわの一つ一つ、その筋肉の微細な運動までが異常に郭大される。指先の神経的な微動でもそれが恐ろしくこくめい・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・ 映画で、まず群集を現わし、次にカメラを近づけてその中のヒーローを抽出し、クローズアップに映出して「紹介」する。連句でもたとえば、「入りごみに諏訪の涌湯の夕まぐれ」「中にもせいの高い山ぶし」は全くこの手法によったものである。 映画で・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・カルメンの中の独唱でも、管弦楽の進行の波頭が指揮者のふりかざした両腕から落ちかかるように独奏者のクローズアップに推移して同時にその歌を呼出すといったような呼吸の面白さは、実地では却って容易に味わわれないものである。こういう意味では音楽自身よ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・悪口を云われる方では辛抱して罵詈の嵐を受け流しているのを、後に立っている年寄の男が指で盆の窪を突っついてお辞儀をさせる、取巻いて見物している群集は面白がってげらげら笑い囃し立てる、その観客の一人一人のクローズアップの中からも吾々はいくらも故・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ 蛮人の顔のクローズアップにはこの映画に限らず頭の上をはう蠅が写っている。この蠅がいわゆる画竜点睛の役目をつとめる。これを見ることによってわれわれは百度の気温と強烈な体臭を想像する。この際蠅はエキストラでなくてスターである。しかし監督の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・たとえば城代の顔と二三の同志の顔のクローズアップ、それに第一のクライマックスに使われた「柱に突きささった刀」でもフラッシュバックさせるとか、なんとかもう一くふうあってもよさそうに思われた。 滅びた主家の家臣らが思い思いに離散して行く感傷・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・しかもそれらの顔のクローズアップのむしろ頻繁な繰り返しはいよいよその暗い印象を強めるのであった。 彗星の表現はあまりにも真実性の乏しい子供だましのトリックのように思われたが、大吹雪や火山の噴煙やのいろいろな実写フィルムをさまざまに編集し・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・と命令する場面で、ページの下半にはランプと蝋燭のクローズアップ。次のページにはリエナが戸外のベンチで泣いているところへクジマが子ねこの襟首をつかんで頭上高くさし上げながらやって来る。「坊や。泣くんじゃないよ。お家は新しく建ててやる。子ねこも・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・そのせいでもあるか、重兵衛さんが真白な歯の間へ真白なにんにくの一片をくわえて、かりかりと噛み切る光景が鮮明なクローズアップとなって想い出される。幼時の記憶には実に些末なような事柄が非常に強く印象に残っていることがある。そういうことは意識的に・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・の記憶にはこのデヴィルド・クラブとあのニグロの顔とが必ずクローズアップに映出されるのである。用事をすませてバルチモーアに立つという日に、急に「熱波」が退却して寒暖計は一ととびに九十五度から六十度に下がってしまったのである。 父が亡くなっ・・・ 寺田寅彦 「夏」
出典:青空文庫