・・・板橋脳病院のコスモス。荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。思い出の暗い花が、ぱらぱら躍って、整理は至難であった。また、無理にこさえて八景にまとめるのも、げびた事だと思った。そのうちに私は、この春と夏、更に二景を見つけてしまったのである。 ことし四・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ さちよが、四年生の秋、父はさちよのコスモスの写生に、めずらしく「優」をくれた。さちよは、不思議であった。木炭紙を裏返してみると、父の字で、女はやさしくあれ、人間は弱いものをいじめてはいけません、と小さく隅に書かれていた。はっ、と思った・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・黄色い絹のドレスも上品だし、髪につけているコスモスの造花も、いい趣味だ。田舎のじいさんと一緒である。じいさんは、木綿の縞の着物を着て、小柄な実直そうな人である。ふしくれだった黒い大きい右手には、先刻の菖蒲の花束を持っている。さては此の、じい・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・ 庭に下りて咲きおくれた金蓮花とコスモスを摘んだ。それをさっき買った来た白釉の瓶に投げ込んで眺めているといい気持になった。これを眺めているうちにも、また展覧会の童女の像を思い出した。あれは実に美しい。何とも云われないしみじみと美しい絵で・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・それはコスモスと虞美人草とそうして小桜草である。立ち葵や朝顔などが小さな二葉のうちに捜し出されて抜かれるのにこの三種のものだけは、どういうわけか略奪を免れて勢いよく繁殖する。二三年の間にはすっかり一面に広がって、もうとても数人の子供の手には・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・そのころそのあたりに頻と新築せられる洋室付の貸家の庭に、垣よりも高くのびたコスモスが見事に花をさかせているのと、下町の女のあまり着ないメレンス染の着物が、秋晴れの日向に干されたりしているのを見る時、何となく目あたらしく、いかにも郊外の生活ら・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 西洋葵に水をやって、コスモスの咲き切ったのを少し切る。 花弁のかげに青虫がたかって居た。 気味が悪いから鶏に投げてやると黄いコーチンが一口でたべて仕舞う。 又する事がなくなると、気がイライラして来る。 隣りの子供が三人・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ 五六本ある西洋葵の世話だのコスモスとダーリアの花を数えたりして居る。 早りっ気で思い立つと足元から火の燃えだした様にせかせか仕だす癖が有るので始めの一週間ばかりはもうすっかりそれに気を奪われて居た。 土の少なくなったのに手を泥・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・「……ああ、由子さん、そのコスモスお持ちなさい、今剪ってあげましょうね」 お祖母さんという人は、親切な人であったがそういう風な返事をした。 再びお千代ちゃんの顔を見た時、由子は「ひどいわ、黙って行っちゃうなんて!」と云っ・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・ 背がのびる草だからと云って後の方に植えて置いたコスモスがいつだったかの大風でのめったまんまになって居るので、ダリヤだの筑波根草だのと云うあんまり大きくないものは皆その下に抱え込まれてしまって居る。 八つになる弟が強請んで種を下して・・・ 宮本百合子 「後庭」
出典:青空文庫