・・・ 泣くような笑うような不思議な声を挙げて、若い女のひとたちにも挨拶して、またもくるくるコマ鼠の如く接待の狂奔がはじまりまして、私がお使いに出されて、奥さまからあわてて財布がわりに渡された奥さまの旅行用のハンドバッグを、マーケットでひらい・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・朝から晩まで、くるくるコマ鼠のように働いてあげる。じゃんじゃんお洗濯をする。たくさんよごれものがたまった時ほど、不愉快なことがない。焦ら焦らして、ヒステリイになったみたいに落ちつかない。死んでも死にきれない思いがする。よごれものを、全部、一・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・一つ一つの画面断片の含むフィルムのコマ数、あるいはメートルであらわしたその長さ、あるいは秒で数えたその映写時間を決定しなければならない。そうしてそれらの断片が何個集まって一つの系列あるいはエピソードを成すかを決定してその全長を計算し、そうい・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・それから上野が斬られて犬のようにころがるだけでなく、もう少し恐怖と狼狽とを示す簡潔で有力な幾コマかをフラッシュで見せたい。そうしないとせっかくのクライマックスが少し弱すぎるような気がする。 第二のクライマックスは赤穂城内で血盟の後復讐の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・第三にはフィルムの毎秒のコマ数によっておのずから規定された速度の制約を無視して、快速な運動を近距離から写した場面が多い。そういうところはただ目まぐるしいだけで印象が空疎になるばかりでなくむしろ不快の刺激しか与えない。これはフィルムの上におけ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・毎秒にたとえば十六コマずつを撮影するとして、そのひとコマがまたシャッターの回転速度とそのセクトルの大きさによって規定されたある一定の長さの照射時間中に起こっただけのすべての事がらの重複した像を現わしていることである。これがために、いわゆるス・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・kTulikTelicaTalangTaraweraTalasiquinTultulTurrialbaTjilering このほかにまだコマ・カンプ型、クジウ型およびイワウ型が・・・ 寺田寅彦 「火山の名について」
・・・ 絵巻物の色々な場面の排列、モンタージュまた一つの場面の推移をはこぶコマ数の按配、テンポの緩急といったようなものに対する画家の計画には、ちょうど映画監督、編輯者のそれと同様な頭脳のはたらきを必要とすることがわかる。 映画としてのこの・・・ 寺田寅彦 「山中常盤双紙」
・・・作者は、その国の億万長者たちが世界地図をいつの間にか盤にして、その上にチェスのコマを動かしているように、世界のあらゆる場所にラニー・バッドを出没させる。地球とそこに起る出来ごとは作者の目の下にあるようだが、主人公であるラニー・バッドとは、何・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・一頁をいくつにも区切って、新聞の絵の一コマの狭さのものがそのまま、ただびっしり詰められてあるきりで、ゆったりと心持ちよい線で描き出されたフクチャンを子供らに見せてやろうという愛の配慮やユーモアはないのである。 児童のための良書ということ・・・ 宮本百合子 「“子供の本”について」
出典:青空文庫