・・・午后はみんなでテニスコートを直したりした。四月二日 水曜日 晴今日は三年生は地質と土性の実習だった。斉藤先生が先に立って女学校の裏で洪積層と第三紀の泥岩の露出を見てそれからだんだん土性を調べながら小船渡の北上の岸へ行・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗の木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴く岩穴もあったのです。 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ 学校といっても入口とあとはガラス窓の三つついた教室がひとつあるきりでほかには溜りも教員室もなく運動場はテニスコートのくらいでした。 先生はたった一人で、五つの級を教えるのでした。それはみんなでちょうど二十人になるのです。三年生はひ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 二人は帽子とオーバーコートを釘にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはいりました。 扉の裏側には、「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、 ことに尖ったものは、みんなここに置いてください」と・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・私は三越でこさえた白い麻のフロックコートを着ましたが、これは勿論、私の好みで作法ではありません。けれども元来きものというものは、東洋風に寒さをしのぐという考も勿論ですが、一方また、カーライルの云う通り、装飾が第一なので結局その人にあった相当・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 列車は、婆さんが鼠色のコートにくるまって不機嫌で愚かな何かの怪のように更に遠く辿って行くだろう疎林の小径を右に見て走った。〔一九二七年十二月〕 宮本百合子 「一隅」
・・・○バン コートランド。 ○オペラ。 ○芝居。 ○西村さんのところ。 〔欄外に〕插話。 講演会。日米週報社より、本田が広告を見て訪ねて来たことをしらす。一月 八日 セントルーク退院。 九日 の朝本・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・いい生活というとき、芝生があってテニスコートもあるような家を心に思い浮べるのは、どんな卑俗な若者でも、映画ぐらい見ていれば一応は描く空想であろう。どしどし仕事をして儲けて、それを実現する生きかたは、小説にかかれるまでもなく踏み古された凡庸な・・・ 宮本百合子 「「結婚の生態」」
・・・ 見て知らん振 銀座 雨もよい weekday の午後一時すぎ むこうから特長のある石川湧の鳥打帽 タバコをふかしつつ コバルト色のコート 傘の若い女と並んで歩いて来る、女私の前を通すぎるとき 傘を傾けて顔をかくして・・・ 宮本百合子 「心持について」
・・・フランス文学者であり、アンティ・ファシストであり、アヴァンギャルドである豊島与志雄が、時代ばなれしたフロックコートの裾をひるがえし、シルクハットはなしで電車にのる描写から、すでにペソスがにじんでいる。行きついた場面では、すべての事のはこびが・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
出典:青空文庫