・・・水面はコールタールみたいに黒く光って、波一つ立たずひっそりと静まりかえっている。岸にボートが一つ乗り捨てられてあった。「乗ろう!」勝治は、わめいた。てれかくしに似ていた。「先生、乗ろう!」「ごめんだ。」有原は、沈んだ声で断った。・・・ 太宰治 「花火」
・・・ たとえば、下肥えのにおいやコールタールのにおいには、われわれに親しい人間生活の幻影がつきまとっている。それに付帯した親しみもありなつかしみもありうるであろう。しかし異国的なゴムの葉のにおいばかりは、少なくも当時の自分の連想の世界を超越・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・これらの動物は、神経を切られたり、動脈へゴム管を挿されたり、病菌を植付けられたり、耳にコールタールを塗って癌腫の見本を作られたりする。 谷を距てた上野の動物園の仲間に比べるとここのは死刑囚であろう。 動物をいびり殺した学士が博士にな・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
出典:青空文庫