・・・眠くなったらソコの押入から夜具を引摺出してゴロ寝をするさ。賀古なぞは十二時が打たんけりゃ来ないよ、」といった。 賀古翁は鴎外とは竹馬の友で、葬儀の時に委員長となった特別の間柄だから格別だが、なるほど十二時を打ってからノソノソやって来られ・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・同ジコトデ、先日チョット露伴君ヲタズネマシタノサエ二年ブリト申スヨウナ訳デス、昔ハ御機嫌伺イトイウ事モアリマシタガ、今デハ御気焔伺イデスカラ、蛙鳴ク小田原ッ子ノ如キハ、メッタニ都ヘハ出ラレマセヌ、コノゴロ御引越ニナリマシタソウデ、区名カラ申・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・えい、面倒じゃ。ゴロ合わせはこれまで。雷が待っておる。佐助よ、さらばじゃ」 どういう風の吹き廻しか、さんざん駄洒落たあと、先生の声はそこで途絶えて、暫らくの別れであった。「ああ、ありがたし、かたじけなし、この日、この刻、この術を、許・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・入口に騒がしい物音が近づいた。ゴロ寝をしていた浜田たちは頭をあげた。食糧や、慰問品の受領に鉄道沿線まで一里半の道のりを出かけていた十名ばかりが、帰ってきたのだ。 宿舎は、急に活気づいた。「おい、手紙は?」 防寒帽子をかむり、防寒・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・仲間の小野は東京へ出奔したし、いま一人の津田は福岡のゴロ新聞社にころがりこんで、ちかごろは袴をはいて歩いているという噂であった。五高の連中も新人会支部のかぎりでは活動したが、組合のことには手をださなかった。ことに高坂や長野は、学生たちを子供・・・ 徳永直 「白い道」
・・・二男は歴史家であるゴロ・マン。次女モニカはハンガリーの美術史家の妻。三男ミハエルはヴァイオリニスト。末娘のエリザベート・マンがピアニストで、イタリーの反ファシスト評論家ボルゲーゼと結婚しているそうである。 内山氏の紹介によると、エリカ・・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・名目は、腕力のあるペン・マンによって、盛り場のゴロツキを征圧しようというのであったが、このことは、今日らしい戦後風景としては笑殺されなかった。すぐ新聞に、それに対する批判があらわれた。そしてそれは当然そうあるべきことであった。一九四六年、日・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・ 紙をまとめて、机代りの箱の上にのせ、硯に紙の被をし筆を拭くと、左の手でグイと押しやって、そのまんま燈りの真下へ、ゴロンと仰向になった。 非常に目が疲労すると、まぼしかるべきランプの光線さえ、さほどに感じない様になるのだ。 黒い・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・その人は、建築家仲間がその姓名のゴロを合わせて、「アドヴァンテージ」というあだ名で呼ぶような人柄であった。漱石は、その人をすかなかった。親類でも、いやな奴はいやな奴として表現する。それが漱石であった。 漱石が死去して、門人たちは出来るだ・・・ 宮本百合子 「行為の価値」
・・・毛足袋、かかとが少しゴロつくかしら。風邪をお大切に。 十二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より〕 金曜日には久し振りで寿江子さんがお目にかかり、元気そうにしていらしたというので安心しました。 それに隆治さんのことに・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫