・・・ると、はるかにエスプリがなく、背後に作者のインテリゼンスが感じられず、たとえば通俗小説ばかり書いている人の文章が純文学の小説の文章とキメの細かさが違う程度に、キメの荒さが目立って、うんざりさせられる。シナリオ・ライターも同様で、日本の映画が・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ 達者で、器用で、何をやらせても一通りこなせるので、例えば彼の書いた新聞小説が映画化されると、文壇の常識を破って、自分で脚色をし、それが玄人はだしのシナリオだと騒がれたのに気を良くして、次々とオリジナル・シナリオを書いたのをはじめ、芝居・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・それをもう少し具体的な脚本すなわちシナリオに発展させる。しかしそれではまだすぐに撮影はできない。シナリオに従って精細な撮影台本が作られなければならない。それには撮影さるべき対象選定はもちろんそれがいかなる条件においていかに撮影さるべきかが具・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・その挙句のシナリオはいろいろくふうがあるであろう。たとえばごく甘口の行き方をすれば、弦の切れて巻き上がった三味線をちょっと映した次に、上野の森のこずえのおぼろ月でも出しそれに夜がらすの声でも入れておいて、もう一ぺん妹とその情人の停車場へ急ぐ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・先生方はそうして得らるる時間の余裕を利用して色々な教材の映画シナリオの共同編纂に従事することになるであろう。それらの試作映画を文部省かどこかで検定し、優秀なものは全国に配布することも出来るであろう。これは夢のような話ではあるが、しかし実現の・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・ 自分のここで映画的連句というのは一定のストーリーに基づいたシナリオ的な連句のつもりである。しかしシナリオ的な叙事詩とはだいぶちがうつもりである。一方では季題や去り嫌いや打ち越しなどに関する連句的制約をある程度まで導入して進行の沈滞を防・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・のモンタージュによる立派な詩や絵のようなものが創作されて一般の鑑賞を受ける日が来るであろうと思われる。 こういうものができるようになった場合に、その「音画」のシナリオはどんなものが可能であろうか。これには実に格好な典型的なものがすでに元・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・それにかかわらず、わが国の映画界や多数の映画研究者・映画批評家はいたずらに西洋人の後塵を追蹤するに忙しくて、われわれの足元に数百年来ころがっているこのきわめて優秀なモンタージュ映画の立派なシナリオの存在には気づかないように見える。あるいは気・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・それなどは、リリアン・ギッシュの持味として演技の落付き、重々しい美はあったがシナリオ全体としては従来の「支那街」の概念から一歩も脱していなかった。東洋のグロテスクな美、猟奇心というものが主にされていたのである。「大地」は、バックの原作が・・・ 宮本百合子 「映画の語る現実」
・・・ 十一月の文芸時評で、平野謙氏が、日本の自然主義以来の文学伝統の分析からこの点にふれ、作家が何によって書くかということの血路的打開の標本として、中野重治氏の「空想家とシナリオ」の車善六という人物の出現、伊藤整氏の得能五郎の存在、徳永直氏・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
出典:青空文庫