・・・私はこの石ばかりの墓場が何かのシンボルのような気がした。今でもあの荒涼とした石山とその上の曇った濁色の空とがまざまざと目にのこっている。 温かき心 中禅寺から足尾の町へ行く路がまだ古河橋の所へ来ない所に、川に沿うた、・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・静かな、恐れをはらんだ絶嶺の大気を貫いて思わずもきいた雷鳥の声は、なんとなくあるシンボルでもあるような気がした。 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・授業のはじめと終りに鳴る鐘は自由の鐘とよばれていて、その学校のシンボルであった。寄宿舎も自由寮という名がついていた。 私はその名に憧れて自由寮の寮生になった。ところが自由寮には自治委員会という機関があって、委員には上級生がなっていたが、・・・ 織田作之助 「髪」
・・・何年ぶりかで久し振りに割引電車の赤い切符を手にした時に、それが自分の健康の回復を意味するシンボルのような気がした。御堀端にかかった時に、桃色の曙光に染められた千代田城の櫓の白壁を見てもそんな気がした。 日比谷で下りて公園の入り口を見やっ・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
「黒色のほがらかさ」ともいうものの象徴が黒楽の陶器だとすると、「緑色の憂愁」のシンボルはさしむき青磁であろう。前者の豪健闊達に対して後者にはどこか女性的なセンチメンタリズムのにおいがある。それでたぶん、年じゅう胃が悪くて時々・・・ 寺田寅彦 「青磁のモンタージュ」
・・・物々しい番兵の交代はベルリン名物の一つであったが、実際いかにも帝政下のドイツのシンボルのように花やかでしかもしゃちこばった感じのする日々行事であった。この花やかにしゃちこばった気分がドイツ大学生特にいわゆるコアー学生の常住坐臥を支配している・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・明治四十年頃に未熟であった日本の婦人解放論者たちが、まず自分たちの婦人の権利を示すシンボルのように考えて行ったそういう行動上の示威からはじまって、恋愛も結婚もすべての面で自分の思うとおりに生活していっていいのだという気持もある。ところがそう・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・日本の女性の真実は、家庭にあってのよい妻、よい母としての姿にあるとして、丸髷、紋付姿がそのシンボルのようにいわれていたのは、つい今年の初め頃のことであった。そこで描かれていた女の理想は、あくまで良人の背後のもの、子供のかげの守り、として家庭・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・私共の祖母、母などは、私共が反省しつつ自分の時代を造り上げているのと違って、只単に一種のシンボルとして一時代の変遷の跡を表わして来てはいたでしょうが、それが正しく私までへの道を形作っていることは事実です。 例えば、女性の政治的権利の要求・・・ 宮本百合子 「今日の女流作家と時代との交渉を論ず」
・・・ 此等の女性最高のシンボルである彫像は、一体何で出来て居りますか、そしてどんな色彩をほどこされて居りますか? 彼女等は決して、一槌の鎚でみじんになる大理石では作られて居りません。 時間と云うものに、極力抵抗した硬金属で作られて居・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
出典:青空文庫