・・・最も卑近な例をあげると、スクリーンの上にコーヒーを飲む場面が映写されるのを見て急に自分もコーヒーが飲みたくなるような場合もあるであろう。 それとほぼ同じようなわけで、もはや青春の活気の源泉の枯渇しかけた老年者が、映画の銀幕の上に活動する・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
映画のスクリーンの平面の上に写し出される光と影の世界は現実のわれらの世界とは非常にかけはなれた特異なものであって両者の間の肖似はむしろきわめてわずかなものである。それにもかかわらずわれわれは習慣によって養われた驚くべき想像・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・ さて、映写が始まって音楽が始まると同時に、暗いスクリーンの上にいろいろの形をした光の斑点や線条が順次に現われて、それがいろいろ入り乱れた運動をするのであるが、全く初めての経験であるからただ一度見ただけでは到底はっきりした記憶などは残り・・・ 寺田寅彦 「踊る線条」
・・・哀れな姫君の寝姿がピアニシモで消えると同時に、グヮーッとスフォルザンドーで朗らかなパリの騒音を暗示する音楽が大波のようにわき上がり、スクリーンにはパリの町の全景が映出される。ここの気分の急角度の転換もよくできている。 モーリスがシャトー・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・しかし緑色の宣伝する人は太陽の前に緑色ガラスのスクリーンをかけて、世の中を緑色にしてしまおうと考えているかのように見える場合がある。もしも花が緑にならなければならない道理のある場合ならば、花弁の中に自然に葉緑ができてしかるべきではあるまいか・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・小説でも歴史の本でも皆そういう巻物になっていて、それを机上の器械にはめてボタンを押すとその内容が器械のスクリーンの上に映写されて出て来るというのである。これは極端な空想であってすべての書物がことごとくそういう映画で代表されようとは考えられな・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・氷海の無辜の住民たる白熊に対してはソビエト探険隊員は残虐なる暴君として血と生命との搾取者としてスクリーンの上に映写されるのである。 白熊がもしもチンパンジーであったら、この映画の観客に与える情緒は少しちがうであろう。チンパンジーの代わり・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ 十二 一と頃、学生の観客の多い映画館で、ニュース映画の中にたまたまソビエトの赤旗の行列などがスクリーンに現われると、観客席の暗闇から盛んな拍手が起るのであった。ことによると、自分の中にもどこかに隠れているら・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・ 五 紙獅子 銀座や新宿の夜店で、薄紙をはり合わせて作った角張ったお獅子を、卓上のセルロイド製スクリーンの前に置き、少しはなれた所から団扇で風を送って乱舞させる、という、そういう玩具を売っているのである。これは物理的・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・そうした茫漠たる冬田の中に一羽くらい鴫が居るのを見付け出すということは到底素人には出来ない芸当であったが、さすが専門家の要太の眼には、不思議なフィルター・スクリーンでもあるかのように、実に敏感に迅速にそれを発見するのである。 片手を挙げ・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
出典:青空文庫