・・・の小説にしないためにはどんなスタイルを発見すればよいのだろうかと、思案に暮れていた矢先き、老訓導の長尻であった。 けれども律儀な老訓導は無口な私を聴き上手だと見たのか、なおポソポソと話を続けて、「……ここだけの話ですが、恥を申せばか・・・ 織田作之助 「世相」
・・・立派なものであったが、武田さんの新しいスタイルはまだ出ていなかった。しかし、私は新しいスタイルの出現を信じていた。今日の世相が書ける唯一の作家としての、武田さんの新しいスタイル――混乱期の作品らしいスタイル――「雪の話」の名人芸を打ち破って・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
僕は終戦後間もなくケストネルの「ファビアン」という小説を読んだ。「ファビアン」は第一次大戦後の混乱と頽廃と無気力と不安の中に蠢いている独逸の一青年を横紙破りの新しいスタイルで描いたもので、戦後の日本の文学の一つの行き方を、・・・ 織田作之助 「土足のままの文学」
・・・すくなくとも秋声の叫ばぬスタイル、誇張のない態度は、僕ら若い世代にとってかなわぬものの一つだ。しかし、文学の態度は、自然主義だけではない。文学というものは、結局誇張だと思うところから、ジタバタ書いて行くのが、若い世代の文学であろう。誇張ぎら・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・でもこの小説でも、作風は語り物の形式を離れて、分析的になっていることはお気づきのことと思いますが、もともと僕はそういう作風であったので、今のスタイルをつくるためにせいぜい「私」を出しているわけです。佐伯=作者の想念が「私」のために邪魔された・・・ 織田作之助 「吉岡芳兼様へ」
・・・を読み、いきなり小説を書きだした。スタイルはスタンダール、川端氏、里見氏、宇野氏、滝井氏から摂取した。その年二つの小説を書いて「海風」に発表したが、二つ目の「雨」というのがやや認められ、翌年の「俗臭」が室生氏の推薦で芥川賞候補にあげられ、四・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・ 少佐がどうして彼を従卒にしたか、それは、彼がスタイルのいい、好男子であったからであった。そのおかげで彼は打たれたことはなかった。しかし、彼は、なべて男が美しい女を好くように、上官が男前だけで従卒をきめ、何か玩弄物のように扱うのに反感を・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ ――俺もしばらくして、せきとくさめに自分のスタイルを持つことに成功した。 オン、ア、ラ、ハ、シャ、ナウ 高い窓から入ってくる日脚の落ち場所が、見ていると順々に変って行って――秋がやってきた。運動から帰ってきて、・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・戦争を知らぬ人が戦争を語り、そうしてそれが内地でばかな喝采を受けているので、戦争を、ちゃんと知っている兵隊さんたちまで、そのスタイルの模倣をしている。戦争を知らぬ人は、戦争を書くな。要らないおせっかいは、やめろ。かえって邪魔になるだけではな・・・ 太宰治 「鴎」
・・・なんとかして自分の胸の思いをわかってもらいたくて、さまざまのスタイルを試みているのですが、成功しているとも思えません。不器用な努力です。私は、ふざけていません。不一。―― その国民学校の先生が、私の家へ呶鳴り込んで来てもいいと覚悟して書・・・ 太宰治 「新郎」
出典:青空文庫