・・・――そういう往年の豪傑ぶりは、黒い背広に縞のズボンという、当世流行のなりはしていても、どこかにありありと残っている。「飯沼! 君の囲い者じゃないか?」 藤井は額越しに相手を見ると、にやりと酔った人の微笑を洩らした。「そうかも知れ・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・折り目の正しい白ズボンに白靴をはいた彼の脚は窓からはいる風のために二つとも斜めに靡いている! 彼はこう言う光景を見た時、ほとんど彼の目を信じなかった。が、両手にさわって見ると、実際両脚とも、腿から下は空気を掴むのと同じことである。半三郎はと・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・けれどもズボンがイタマシイですね。」 四 僕が最後に彼に会ったのは上海のあるカッフェだった。(彼はそれから半年ほど後、天然痘に罹僕等は明るい瑠璃燈の下にウヰスキイ炭酸を前にしたまま、左右のテエブルに群った大勢の・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・ 私が向き直ると、ヤコフ・イリイッチは一寸苦がい顔をして、汗ばんだだぶだぶな印度藍のズボンを摘まんで、膝頭を撥きながら、突然こう云い出した。 おい、船の胴腹にたかって、かんかんと敲くからかんかんよ、それは解せる、それは解せるがかんか・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・ ちかちか ひかる、青い きものを きた おねえさんと、くろい ズボンを はいた 男が、むちを もって、ついて きます。「こわいわ。」と、よし子さんは おうちへ はいろうと しました。「ぞうは おりこうだから こわく ないよ・・・ 小川未明 「お月さまと ぞう」
・・・木田は、小さくなったズボンをはいていたもので、うずくまるとおしりが割れて、さるのおしりのように見えたのも目にうつってきました。 ある日のこと雑誌を貸してやると、「ふなをあげるから遊びにこない?」と、木田はいいました。 勇ちゃんは・・・ 小川未明 「すいれんは咲いたが」
・・・ 店先へ立ち迎えて見ると、客は察しに違わぬ金之助で、今日は紺の縞羅紗の背広に筵織りのズボン、鳥打帽子を片手に、お光の請ずるまま座敷へ通ったが、後見送った若衆の為さんは、忌々しそうに舌打ち一つ、手拭肩にプイと銭湯へ出て行くのであった。・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・谷町で五十銭の半ズボン、松屋町の飴屋で飴五十銭。残った三銭で芋を買って、それで空腹を満しながら、自転車を押して歩いた。飴は一本五厘で、五十銭で仕入れると、百本くれる。普通は一本を二つに折って、それを一銭に売るのだから、売りつくすと二円になる・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・作業服のように上衣とズボンが一つになっていて、真中には首から股のあたりまでチャックがついている。二つに割れる仕掛になっているのかと私は思わず噴き出そうとした途端、げっと反吐がこみあげて来た。あわてて口を押え、「食塩水……」をくれと情ない・・・ 織田作之助 「世相」
・・・学生の間に流行っているらしい太いズボン、変にべたっとした赤靴。その他。その他。私の弱った身体にかなわないのはその悪趣味です。なにげなくやっているのだったら腹も立ちません。必要に迫られてのことだったら好意すら持てます。然しそうだとは決して思え・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
出典:青空文庫