・・・海は実は代赭色をしている。バケツの錆に似た代赭色をしている。 三十年前の保吉の態度は三十年後の保吉にもそのまま当嵌る態度である。代赭色の海を承認するのは一刻も早いのに越したことはない。かつまたこの代赭色の海を青い海に変えようとするのは所・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・流れ出すと、炉の下の大きなバケツのようなものの中へぼとぼとと重い響きをさせて落ちて行く。バケツの中がいっぱいになるに従って、火の流れがはいるたびにはらはらと火の粉がちる。火の粉は職工のぬれ菰にもかかる。それでも平気で何か歌をうたっている。・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・袖無しの上へ襷をかけた伯母はバケツの雑巾を絞りながら、多少僕にからかうように「お前、もう十二時ですよ」と言った。成程十二時に違いなかった。廊下を抜けた茶の間にはいつか古い長火鉢の前に昼飯の支度も出来上っていた。のみならず母は次男の多加志に牛・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・ 二階の部屋をまわった平塚君の話では、五年の甲組の教室に狂女がいて、じっとバケツの水を見つめていたそうだ。あの雨じみのある鼠色の壁によりかかって、結び髪の女が、すりきれた毛繻子の帯の間に手を入れながら、うつむいてバケツの水を見ている姿を・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・ぼくはおとうさんに手伝って、バケツで水を運んで来て、きれいな白いきれで静かにどろや血をあらい落としてやった。いたい所をあらってやる時には、ポチはそこに鼻先を持って来て、あらう手をおしのけようとした。「よしよし静かにしていろ。今きれいにし・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・蒟蒻の桶に、鮒のバケツが並び、鰌の笊に、天秤を立掛けたままの魚屋の裏羽目からは、あなめあなめ空地の尾花が覗いている……といった形。 ――あとで地の理をよく思うと、ここが昔の蓮池の口もとだったのだそうである。――「皆その御眷属が売って・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ことごとく人々を先に出しやって一渡り後を見廻すと、八升入の牛乳鑵が二つバケツが三箇残ってある。これは明日に入用の品である。若い者の取落したのか、下の帯一筋あったを幸に、それにて牛乳鑵を背負い、三箇のバケツを左手にかかえ右手に牛の鼻綱を取って・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・自分はさっそく新しい水をバケツに二はいくみ入れてやった。奈々子は水鉢の縁に小さな手を掛け、「きんご、おっちゃんきんご、おっちゃんきんご」「もう金魚へにゃしないねい。ねいおんちゃん、へにゃしないねい」 三児は一時金魚の死んだのに驚・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・そして、毎日、先生や生徒たちが、はだしで、バケツに水をくんで、運んだりしました。 学校を卒業してしまったものも、昔、自分のお友だちであった、桜の木が弱ったといううわさをきくと、心配をして、わざわざみまいにやってきましたので、桜の木は、も・・・ 小川未明 「学校の桜の木」
・・・ 英ちゃんは、さおを持ち、良ちゃんは、片手に、みみずの入った紅茶の空きかんを持ち、片手にバケツをぶらさげていました。ほかの男の子たちも、さおとバケツと紅茶の空きかんを持っていました。 お姉さんは、これまで見た、紅茶の空きかんといえば・・・ 小川未明 「小さな弟、良ちゃん」
出典:青空文庫