・・・粗末なバラックの建物のまわりの、六七本の桜の若樹は、もはや八分どおり咲いていた。…… 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・近くの島だったので病人を入れるバラックの建つのがこちらからよく見えた。いつもなにかを燃している、その火が夜は気味悪く物凄かった。海で泳ぐものは一人もない。波の間に枕などが浮いていると恐ろしいもののような気がした。その島には井戸が一つしかなか・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・僕が出たあと、半年ほどして、山漢社長はつゞまりがつかなくなって事務所にも、バラックにも、火をつけて焼いてしまったという話だ。一度、そのあとが、今どうなっているか見に行こうと思うが、まだよう行かずにいる。建物会社をやめて暁声社という鶏の雑誌を・・・ 黒島伝治 「自伝」
・・・ 私はその特高に連れられたまゝ、何ベンも何ベンもグル/\階段を降りて、バラックの控室に戻ってきた。途中、忙しそうに歩いている色んな人たちと出会った。その人たちは俺を見ると、一寸立ち止まって、それから頭を振っていた。「さ、これでこの・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・「あの橘町辺のお店はどうなったろう」「バラックを建ててやってはいますが、みんな食べて行くというだけのことでしょう。秋草さんのようなお店でも御覧なさいな、玉川の方の染物の工場だけは焼けずにあって、そっちの方へ移って行って、今では三越あ・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 私たちを載せた車は、震災の当時に焼け残った岡の地勢を降りて、まだバラック建ての家屋の多い、ごちゃごちゃとした広い町のほうへ、一息に走って行った。町の曲がり角で、急に車が停まるとか、また動き出すとか、何か私たちの乗り心地を刺激するものが・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・いきどころをもたないり災者の一半は、そのときも、まだ、救護局が建設した、日比谷、上野、その他のバラックの中に住んでいました。工兵隊は引つづき毎日爆薬で、やけあとのたてもののだん片なぞを、どんどんこわしていました。九階から上が地震でくずれ落ち・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・銀座のほうに歩きかけて、やめて、川の近くのバラックの薬局から眠り薬ブロバリン、二百錠入を一箱買い求め、新橋駅に引きかえし、大阪行きの切符と急行券を入手した。大阪へ行ってどうするというあても無いのだが、汽車に乗ったら、少しは不安も消えるような・・・ 太宰治 「犯人」
・・・帝都座の裏の若松屋という、バラックではないが急ごしらえの二階建の家も、その一つであった。「若松屋も、眉山がいなけりゃいいんだけど。」「イグザクトリイ。あいつは、うるさい。フウルというものだ。」 そう言いながらも僕たちは、三日に一・・・ 太宰治 「眉山」
・・・ バラックの、ひどいアパートであった。薄暗い廊下をとおり、五つか六つ目の左側の部屋のドアに、陣場という貴族の苗字が記されてある。「陣場さん!」と私は大声で、部屋の中に呼びかけた。 はあい、とたしかに答えが聞えた。つづいて、ドアの・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
出典:青空文庫