・・・最後の前の幕にバレーがあります。国にいた時分「スチュディオ」か何かに載せたドガーの踊り子のパステル絵を見て、なんだかばかげたつまらないもののような気がしましたが、その後バレーというものも見、それからドガーの本物の絵も見てから考えてみると、と・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ ロシアのバレー作家のマッシンがある人の問に答えて、「見玉え。今の世界の大立者と云えばみんなグロテスクではないか。例えばカイゼルでもチャップリンでも……」と云ったそうである。それはとにかく、グロテスク美術が自然や文明の脅威から生れるもの・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・ 古典的なオペラ・バレーを演じている国立オペラ舞踊劇場でさえ「蹴球選手」という五ヵ年計画を主題の中へとり入れたバレーを上演した。 カターエフの「前衛」がワフタンゴフ劇場で演じられる。 レーニングラードからきたトラムは農村における・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
・・・舞踊でもこのごろはやっているスクウェアー・ダンスのようなものが娯楽のためのダンスであって、芸術としてのバレーとは自然ちがいます。映画や演劇は、芸術性と娯楽性のもっとも密着したものですが、「真夏の夜の夢」が笑いと、当時の大衆的な感覚――迷信そ・・・ 宮本百合子 「質問へのお答え」
・・・――第一国立オペラ舞踊劇場バレー「蹴球選手」 グルジューモフ作 中国革命と中国の美しい娘。帝国主義と軍国主義とを主題にした「赤いけし」がソヴェトの新しいバレーとして紹介されてから数年たつ。・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・もとは、夜会服を着た男や女だけが見物するものときまっていた国立オペラ・バレー、すべての芝居は、労働組合手帖で半額で見られる。 一年に一ヵ月の有給休暇があって、その時は絵でばかり見ていたようなクリミヤの離宮や大金持の別荘がプロレタリア、農・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・しかし、もっと深いところでこんにち認められる危険は、資本主義社会のいわゆる文化、娯楽が、きわめて知覚的な刺戟の連続として歌謡・バレー、あてものなどで組立てられ、プログラムづけられているということである。労働条件のわるさ――たえざる疲労と心労・・・ 宮本百合子 「文学と生活」
出典:青空文庫