・・・基督教徒の地上楽園は畢竟退屈なるパノラマである。黄老の学者の地上楽園もつまりは索漠とした支那料理屋に過ぎない。況んや近代のユウトピアなどは――ウイルヤム・ジェエムスの戦慄したことは何びとの記憶にも残っているであろう。 わたしの夢みている・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・この大河内家の客座敷から横手に見える羽目板が目触りだというので、椿岳は工風をして廂を少し突出して、羽目板へ直接にパノラマ風に天人の画を描いた。椿岳独特の奇才はこういう処に発揮された。この天人の画は椿岳の名物の一つに数えられていたが、惜しい哉・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・実に今より百年ばかり前のことをわれわれの目の前に活きている画のように、ソウして立派な画人が書いてもアノようには書けぬというように、フランス革命のパノラマを示してくれたものはこの本であります。それでわれわれはその本に非常の価値を置きます。カー・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・このパノラマ風の眺めは何に限らず一種の美しさを添えるものである。しかし入江の眺めはそれに過ぎていた。そこに限って気韻が生動している。そんなふうに思えた。―― 空が秋らしく青空に澄む日には、海はその青よりやや温い深青に映った。白い雲がある・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・黒ぐろとした杉林がパノラマのように廻って私の行手を深い闇で包んでしまっている。その前景のなかへ、右手からも杉山が傾きかかる。この山に沿って街道がゆく。行手は如何ともすることのできない闇である。この闇へ達するまでの距離は百米あまりもあろうか。・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・ 自分は友人と肩を並べて、起伏した丘や、その間に頭を出している赤い屋根や、眼に立ってもくもくして来た緑の群落のパノラマに向き合っていた。「ここからあっちへ廻ってこの方向だ」と自分はEの停留所の方を指して言った。「じゃあの崖を登っ・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・船が進むにつれて美しい自然と古い歴史をもった市街のパノラマが目の前に押し広げられるのである。子供の時分から色刷り石版画や地理書のさし絵で見慣れていて、そして東洋の日本の片田舎に育った子供の自分が、好奇心にみちた憧憬の対象として、西洋というも・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・自分も陳列所前の砂道を横切って向いの杉林に這入るとパノラマ館の前でやっている楽隊が面白そうに聞えたからつい其方へ足が向いたが丁度その前まで行くと一切り済んだのであろうぴたりと止めてしまって楽手は煙草などふかしてじろ/\見物の顔を見ている。後・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・げく、ステッキ引きずる書生の群あれば盛装せる御嬢様坊ちゃん方をはじめ、自転車はしらして得意気なる人、動物園の前に大口あいて立つ田舎漢、乗車をすゝむる人力、イラッシャイを叫ぶ茶店の女など並ぶるは管なり。パノラマ館には例によって人を呼ぶ楽隊の音・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・しかし事実上彼らはパノラマ的のものをかいて平気でいるところをもって見ると公然と無筋を標榜せぬまでも冥々のうちにこう云う約束を遵奉していると見ても差支なかろう。 写生文家もこう極端になると全然小説家の主張と相容れなくなる。小説において筋は・・・ 夏目漱石 「写生文」
出典:青空文庫