・・・一種のビタミン療法であろうと思われる。見たところ元気のいい子で、顔も背中も渋紙のような色をして、そして当時流行っていた卑猥な流行唄を歌いながら丸裸の跣足で浜を走り廻っていた。 同じ宿に三十歳くらいで赤ん坊を一人つれた大阪弁のちょっと小意・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・それは動物や人間が丁度自分のからだに必要な栄養品やビタミンを無意識に食いたがるようなものではなかったかという気がするのである。 勝手放題な色々な疑問を、叱られても何でも構わずいくらでも自分にこしらえては自分で追究し、そうしてあきるとまた・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・ この母熊の肉は探険隊員のあまたの食卓をにぎわすと同時に隊員のビタミン欠乏症を予防する役に立った。子熊のほうはたぶんそのうちに東京の動物園に現われ檻の前の立て札には「従来捕獲されたる白熊の中にて最高緯度の極北において捕獲されたるものなり・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ということがいろいろな芸術の指導原理か骨髄かあるいは少なくも薬味ないしビタミンのごときものであると考えられていた。西洋でもラスキンなどは「一抹の悲哀を含まないものに真の美はあり得ない」と言ったそうである。これから考えても悲哀ということ自身は・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 魚貝のみならずいろいろな海草が国民日常の食膳をにぎわす、これらは西洋人の夢想もしないようないろいろのビタミンを含有しているらしい。また海胆や塩辛類の含有する回生の薬物についても科学はまだ何事をも知らないであろう。肝油その他の臓器製薬の・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・食物に譬えれば栄養価は乏しくても豊富なるビタミンを含有していた。そうして他にはこれに代わるべき御馳走はほとんどなかった。それが、大正昭和と俳句隆盛時代の経過するうちに、栄養に富んだ食物も増し料理法も進歩したことはたしかであるが同時にビタミン・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・お魚の目玉にはビタミンAがありませんけれども、頭の方には栄養があるのかも知れません。とにかくお頭という意味で家のお頭に差上げるのでしょう。ビタミンが多いから差上げるという親切からでなく形式で差上げる。お頭にはお頭を差上げて、切身の尻尾の方は・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・が間に合うように、と願いながら緑茶を小さいカンにつめたり、かつお節をけずったり、紀さんに頼んで夜光磁石や、天文図やウィスキーの瓶詰などを陸軍の方から買ってもらう手筈をしたりしています、その前に南方ではビタミンBが命の親と聞いて、メタボリンを・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫