・・・ 対岸の山は半ばは同じ紅葉につつまれて、その上はさすがに冬枯れた草山だが、そのゆったりした肩には紅い光のある靄がかかって、かっ色の毛きらずビロードをたたんだような山の肌がいかにも優しい感じを起させる。その上に白い炭焼の煙が低く山腹をはっ・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・ ある冬の日の本郷通りで会った四方太氏は例によってきちんとした背広に外套姿であったが、首には玉子色をしたビロードらしい襟巻をしていた。その襟巻を行儀よく二つ折りにした折り目に他方の端をさし込んだその端がしわ一つなくきちんとそろって結び文・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・宝石で作ったような真紅のつぼみとビロードのようにつやのある緑の葉とを、臥ながら灰色の壁に投射して見ると全く目のさめるように美しかった。 いつでも思う事ではあるが、いかに精巧をきわめた造花でも、これを天然の花に比べては、到底比較にならぬほ・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・川のあべこべの方から林の司のペーンがみどり色のビロードの着物に銀の飾りのついた刀をさして来る。シリンクスの涙をこぼして居る様子を見てサッとかおを赤くする。それから刀の音をおさえてつまさきで歩いて精女のわきによる。やさしげな又おだやかなものし・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ 山々はみどりのビロードを張りつめた様に牧場には口に云えないほどの花が咲き出して川の水も池の面も元気の好い太陽にくすぐられて微笑んで居る様に道にころがって居る小石にさえ美しさが輝き出してまるで小鳥の様に仙二はうすい着物に草履をはいてはそ・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・ 白い羽根を一本一寸気軽にビロードの帽子にさした若者が、愛嬌のいい顔をして小器用になおしてあげる。 どっかハムレットに似て居る。 オフィリアは居ないかしらん、 宮本百合子 「草の根元」
・・・ 自覚というような言葉を、またここで思い出してみれば、日本にない絹ビロードの夜会服にあこがれ「映画のあの場面ではあの着物のレースがあんな風にひるがえった」とまぼろしを描くよりは、日本に一種類でも、そのように若い人の人生を愛した布地の作ら・・・ 宮本百合子 「自覚について」
・・・なまじっかビロードなどを張った軟床車よりは。当時シラミは歴史的にふとっていたのだ。シラミはチフス菌を背負って歩いていた。―― 今この三等夜汽車で靴をはいたまんま寝て揺られている旅客の何人かが、一九一七年から二一年までの間にその光栄あるС・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・萩はしおらしくうなだれてビワのうす緑の若芽のビロードの様な上に一つ、二つ、真珠の飾りをつけた様に露をためて――マア、私は斯う、小さい、ふるえたため息をもらさなくては居られないほど嬉しさにみちて居る。泣きぬれた瞳の様な、斯う思って私は椿の葉を・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
七月二十一日 晴 木の葉のしげみや花ずいの奥にまだ夜の香りがうせない頃に目が覚めた。外に出る。麻裏のシットリとした落つきも、むれた足にはなつかしい。 この頃めっきり広がった苔にはビロードのやわらかみと快い弾力が有ってみどりの細い・・・ 宮本百合子 「日記」
出典:青空文庫