1961年4月、米国がカストロ政権の転覆を狙ってキューバに侵攻した事件。CIAの支援を受けた亡命キューバ人部隊が、本島南岸のコチーノス湾に上陸したが、3日間の戦闘の末、キューバ軍に撃退され、作戦は失敗に終わった。ピッグス湾はコチーノス湾の米側の呼称。コチーノスはスペイン語で豚の意。
[補説]1959年1月の
キューバ革命後、カストロ
政権は東側諸国との
連携を強め、社会主義的な
改革を
推進。
産業を国有化し、米系企業の
資産を
接収したことから、
米国は1960年1月、キューバとの
国交を
断絶した。侵攻作戦は
アイゼンハワー政権下で
計画され、
ケネディ政権下で
実行された。事件後、カストロは、キューバ
革命が社会主義革命であったと
宣言。ソ連との友好関係を深める中、1962年、
同国への核ミサイル
配備をめぐって米ソが
対立する
キューバ危機が起きた。