・・・ 二葉亭は常にいった。フィロソフィーというは何処までも疑問を追究する論理であって、もし最後の疑問を決定してしまったならそれはドグマであってフィロソフィーでなくなってしまうと。また曰く、人生の興味は不可解である、この不可解に或る一定の解釈・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・深刻なモラールやフィロソフィーなどの薬味がきき過ぎて、大いに考えさせられたりひどく感心させられたりするようだと、大脳皮質のよけいな部分の活動に牽制されて、泣くことの純粋さがそこなわれることになる。そうした芸術的に高等な芝居が、生理的享楽のた・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・それについてそれをフィロソフィーにしよう――それをまあこじつけてフィロソフィーにして演説の体裁にしようというのです。どういう風にこじつけるかが問題であります。それが旨く行けば聴かれそうな演説である。巧く行かなければそれだけの話である。まあど・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
出典:青空文庫