・・・「それは誰でも外国人はいつか一度は幻滅するね。ヘルンでも晩年はそうだったんだろう。」「いや、僕は幻滅したんじゃない。illusion を持たないものに disillusion のあるはずはないからね。」「そんなことは空論じゃない・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・自分たち五六人は、機械体操場の砂だまりに集まって、ヘルの制服の背を暖い冬の日向に曝しながら、遠からず来るべき学年試験の噂などを、口まめにしゃべり交していた。すると今まで生徒と一しょに鉄棒へぶら下っていた、体量十八貫と云う丹波先生が、「一二、・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・手紙で返事を寄こして、僕、寡聞にして、ヘルベルト・オイレンベルグを知りませず、恥じている。マイヤーの大字典にも出て居りませぬし、有名な作家ではないようだ。文学字典から次の事を知りました、と親切に、その人の著作年表をくわしく書いて送って下さっ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・人の話に依りますと「ヘルマンとドロテア」も「野鴨」も「あらし」も、みんなその作者の晩年に書かれたものだそうでございます。ひとに憩いを与え、光明を投げてやるような作品を書くのに、才能だけではいけないようです。もしも、あなたがこれから十年二十年・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・それにもかかわらず母音の組成に関する秘密はまだ完全に明らかにはならない。ヘルムホルツ、ヘルマン以来の論争はまだ解決したとは言われないようである。このような方面にはまだたくさんの探究すべき問題が残っている。ことに日本人にとっては日本語の母音や・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・その後教授が半ばはその研究の資料を得るために半ばはこの自分を追跡する暗影を振り落とすためにアフリカに渡ってヘルワンの観測所の屋上で深夜にただ一人黄道光の観測をしていた際など、思いもかけぬ砂漠の暗やみから自分を狙撃せんとするもののあることを感・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
一九〇九年五月十九日にベルリンの王立フリードリヒ・ウィルヘルム大学の哲学部学生として入学した人々の中に黄色い顔をした自分も交じっていた。厳かな入学宣誓式が行われて、自分も大勢の新入生の中にまき込まれて大講堂へ這入ったが、様・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・環のまん中に名高い、ヘルマン大佐がいるんだ。人間じゃないよ。僕たちの方のだよ。ヘルマン大佐はまっすぐに立って腕を組んでじろじろあたりをめぐっているものを見ているねえ、そして僕たちの眼の色で卑怯だったものをすぐ見わけるんだ。そして『こら、・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・だから日本から来たヘル・ドクトルの連中に初めて逢って口をきくと、みんな変な顔をするんだ」と言っていたことがある。この純一君と話しているうちに、漱石の話がたびたび出たが、純一君は漱石を癇癪持ちの気ちがいじみた男としてしか記憶していなかった。い・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫