・・・すなわち、「ユダヤ人は、長くペルシャに住んでいた間に、新らしい宗教組織を知るようになった。ペルシャの人たちは、其名をザラツストラ、或いはゾロアスターという偉大な教祖の説を信じていた。ザラツストラは、一切の人生を善と悪との間に起る不断の闘争で・・・ 太宰治 「誰」
・・・洋画をかいている友人は、ペルシャでないか、と私に聞いた。私は、すてねこだろう、と答えて置いた。ねこは誰にもなつかなかった。ある日、私が朝食の鰯を焼いていたら、庭のねこがものうげに泣いた。私も縁側へでて、にゃあ、と言った。ねこは起きあがり、静・・・ 太宰治 「葉」
「古き小画」の新聞切抜きが見つかって、この集に入れられたのは思いがけないことだった。この、ペルシャの伝説から取材した小説は一九二三年の夏じゅうかかって執筆され、書き上ってから北海道の新聞にのせられた。スカンジナヴィア文学の専・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・そこには綿が生え、駱駝しか歩けないような地域までひろがっている。ペルシャやアフガニスタンはすぐ隣りだ。蒙古と国境がくっついている。その中に、二十五の人種が棲んでいる。ロシアとひとくちに云っても、例えば第十六回ロシア共産党大会のあった時分のモ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・ ニージュニ・ノヴゴロド市には、夏になると、昔から有名な定期市が立った。ペルシャの商人までそこに出て来て、何百万ルーブリという取引がある。ニージュニ・ノヴゴロド市の埠頭、嘗てゴーリキーが人足をしたことのある埠頭から、ヴォルガ航行の汽船が・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・そしてちょうど私の行った時最終日であった有名なニージュニの定期市――ゴーリキイが十代の時分この定期市の芝居で馬の脚をやったということのある定期市も、その一九二八年が最後で閉鎖された。ペルシャやカスピ海沿岸との通商関係は進歩して古風な酔どれだ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・年一度、遠くペルシャやアルメニヤ、コーカサス辺から迄地方物産を集めて開かれる世界に有名な定期市で、謂わばニージニという町全体が生きていた。田舎風な都会、一年の最高頂の時期は、罵声と殴り合いの合奏する巨額な金の集散、そのおこぼれにあずからんと・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ ところが、カザンに到着して三日経つと、ゴーリキイは、自分が大学なんぞへ来るよりはペルシャへでも行った方が、もう少しは気が利いていただろうということを知った。彼独特な「私の大学」時代がはじまった。ゴーリキイは、その時代のことをこう書いて・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
・・・ ナポレオンの寝室では、寒水石の寝台が、ペルシャの鹿を浮かべた緋緞帳に囲まれて彼の寝顔を捧げていた。夜は更けていった。広い宮殿の廻廊からは人影が消えてただ裸像の彫刻だけが黙然と立っていた。すると、突然ナポレオンの腹の上で、彼の太い十本の・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫