・・・ 橋場辺の岸から向岸を見ると、帝国大学のペンキに塗られた艇庫が立っていて、毎年堤の花の咲く頃、学生の競漕が行われて、艇庫の上のみならず、そのあたり一帯が競漕を見にくる人で賑かになる。堤の上に名物言問団子を売る店があり、堤の桜の由来を記し・・・ 永井荷風 「向島」
・・・御成街道にペンキ屋の長い看板があるから見て、御覧なさい。 楠一族の色彩ははなはだよろしい。第一調和しているようです。正成の細君は品があってよござんす、あの子も好い。みんな好い色だ。 私の厭なところと、好なところを性質から区別して並べ・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・箪笥というのはもったいない、ペンキ塗の箱だね。上の引出に股引とカラとカフが這入っていて、下には燕尾服が這入っている。あの燕尾服は安かったがまだ一度も着た事がない。つまらないものを作ったものだなと考えた。箱の上に尺四方ばかりの姿見があってその・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・理髪店の軒先には、紅白の丸い棒が突き出してあり、ペンキの看板に Barbershop と書いてあった。旅館もあるし、洗濯屋もあった。町の四辻に写真屋があり、その気象台のような硝子の家屋に、秋の日の青空が侘しげに映っていた。時計屋の店先には、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・白い象だぜ、ペンキを塗ったのでないぜ。どういうわけで来たかって? そいつは象のことだから、たぶんぶらっと森を出て、ただなにとなく来たのだろう。 そいつが小屋の入口に、ゆっくり顔を出したとき、百姓どもはぎょっとした。なぜぎょっとした? よ・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・それは大へん小さくて、地理学者や探険家ならばちょっと標本に持って行けそうなものではありましたがまだ全くあたらしく黄いろと赤のペンキさえ塗られていかにも異様に思われ、その前には、粗末ながら一本の幡も立っていました。 私は老人が、もう食事も・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・わきの丘の上に青と赤、ペンキの色あざやかな農業機械が幾台も並んでいる。古い土地がいかに新しい土地となりつつあるか。ソヴェトが五ヵ年計画で四〇〇パーセント増そうとしている農業機械のこれは現実的な見本である。 列車の窓ガラスが緑になってしま・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・日光にきらめき、風にしぶきながら樽からほとばしる液体は、その樽の上に黒ペンキでおどかすようにかきつけられていたPoison――毒ではなかった。液汁は、芳醇とまではゆかないにせよ、とにかく長年の間くさりもしないで発酵していた葡萄のつゆであった・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)」
明治二十三年八月十七日、上野より一番汽車に乗りていず。途にて一たび車を換うることありて、横川にて車はてぬ。これより鉄道馬車雇いて、薄氷嶺にかかる。その車は外を青「ペンキ」にて塗りたる木の箱にて、中に乗りし十二人の客は肩腰相・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・まず廊下であるが、板の張り方は日本風でありながら、外側にペンキ塗りの勾欄がついていて、すぐ庭へ下りることができないようになっていた。そうしてこういう廊下に南と東と北とを取り巻かれた書斎と客間は、廊下に向かって西洋風の扉や窓がついており、あと・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫