・・・折からウェエタアが持って来たウイスキイで、ちょいと喉を沾すと、ポケットから瀬戸物のパイプを出して、それへ煙草をつめながら、「もっとも気をつけても、あぶないかも知れない。こう申すと失礼のようだが、それほどあの戦争の史料には、怪しいものが、・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・近眼鏡をかけた宮本はズボンのポケットへ手を入れたまま、口髭の薄い唇に人の好い微笑を浮べていた。「堀川君。君は女も物体だと云うことを知っているかい?」「動物だと云うことは知っているが。」「動物じゃない。物体だよ。――こいつは僕も苦・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
ある曇った初夏の朝、堀川保吉は悄然とプラットフォオムの石段を登って行った。と云っても格別大したことではない。彼はただズボンのポケットの底に六十何銭しか金のないことを不愉快に思っていたのである。 当時の堀川保吉はいつも金・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・画家 (一人、丘の上なる崕に咲ける山吹と、畠の菜の花の間高き処に、静にポケット・ウイスキーを傾けつつあり。――鶯遠く音を入る。二三度鶏の声。遠音に河鹿鳴く。しばらくして、立ちて、いささかものに驚ける状す。なお窺うよしして、花と葉の茂・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・「長崎あたりに来ているロシア人は、ポケットに、もはや幾何しかの金がなくても、それを憂えずに、人生について論議している……」と、いうような話をきいたことがある。その時も、私は、感激を覚えたのです。 何となく私には、幽暗なロシア――・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・ 知らない子は、りゅうのひげをポケットに入れて、それから、ボールをさがしてくれました。「なんだ、ここにあるじゃないか。」と、さっき正吉くんが、いくら、さがしても見つからなかったところから、拾い出しました。「君、キャッチボールをし・・・ 小川未明 「少年と秋の日」
・・・ 旅行鞄からポケット鏡を取り出して、顔を覗いた。孤独な時の癖である。舌をだしてみたり、眼をむいてみたり、にきびをつぶしたりしていた。蒲団の中からだらんと首をつきだしたじじむさい恰好で、永いことそうやっていると、ふと異様な影が鏡を横切った・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・「君のことだから、合服のポケットなんかに旧円がはいってやしないか。入れ忘れたままナフタリン臭くなってね」「そうだ。そう言われてみると、はいってるかも知れんね」 と、済ました顔で、「――以前は、財布を忘れて外出して弱ったものだ・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・かれこれするうち、自分の向かいにいた二等水兵が、内ポケットから手紙の束を引き出そうとして、その一通を卓の下に落としたが、かれはそれを急に拾ってポケットに押し込んで残りを隣の水兵に渡した。他の者はこれに気がつかなかったらしい、いよいよ読み上げ・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・、なるほど加藤男の彫像に題するには何よりの題目だろう、……男爵は例のごとくそのポケットから幾多の新聞の号外を取り出して、「号外と僕に題するにおいて何かあらんだ。ねえ、中倉さん、ぜひ、その題で僕を、一ツ作ってもらいたい。……こんなふうに読・・・ 国木田独歩 「号外」
出典:青空文庫