・・・母国語を奪われているということについて、ショパンは彼の音楽でどんなメロディーを訴えたろう。マダム・キュリーは小学生だったとき、奪われている母国語についてどんな痛苦を経験したろうか。ワンダ・ワシレフスカヤの文学は、ポーランドの人々が真に人民の・・・ 宮本百合子 「三年たった今日」
・・・ような、女性の主観的がんばりだけで達成されるものでもないし、戦時中の政府が戦争目的のために婦人技術者を養成して、いまはそれ等の人の中から売笑婦が出るような状態につきおとしているやり方でも解決しません。マダム・キュリーがあれだけの仕事をしたの・・・ 宮本百合子 「質問へのお答え」
・・・ どこへ来ても、淑貞のはにかみがちな、しとやかさは同じであった。マダムたちが好意をもっておくりものなどをしてくれる。しかし、彼女は、時々「心乱れて、云い知れぬ淋しさを感ずることが」あった。淑貞はおとなしすぎてニューイングランドの若い青年・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・この期間に、有名なマダム・ド・ベルニィとバルザックとの十年間に亙る意味ふかい相識がはじまったのである。 ロオル・ベルニィ夫人の父というのは、ルイ十六世の宮廷に出入してマリイ・アントワネットの音楽教師を勤めたヒンネルというドイツ人であり、・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ 何故この夫人ばかりは、ナデージュタ・ペトローヴナと呼ばれず、マダム・ブーキンと云うのか誰も理由を知らなかった。 彼女は名刺にマダム・ブーキンと刷らせた。ジェルテルスキーが、上海で始めて彼女に紹介された時、彼女は、何か特種な称号でも・・・ 宮本百合子 「街」
・・・二年前にニージュニで知り合ってゴーリキイの全傾倒をひきおこしたマダム・オリガが良人をパリにのこして、花のような娘と一緒にチフリスへ帰って来た。そのことを知った時、この頑丈な若者は狂喜のあまり生れて初めて卒倒した。 ゴーリキイは真直ぐ、ニ・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
出典:青空文庫