・・・アメリカ映画はヤンキー教の経典でありチューインガムやアイスクリームソーダの余味がある。ドイツ映画には数理的科学とビールのにおいがあり、フランス映画にはエスカルゴーやグルヌイーユの味が伴なう。ロシア映画のスクリーンのかなたにはいつでも茫漠たる・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・などは題材がロシアふうであるのに映画は全然ヤンキーふうであるが、「アラン」にはそうしたアメリカふうがどこにも見えないように思われる。 十 ナナ ゾラの「ナナ」から「暗示を受けて」作った映画だと断わってあるから、そ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ある人の説のごとく、芸術は在るところのものの再出現ではなくて、在ってほしいものへの意欲の演出であるとすれば、これらの映画はヤンキーにとっては最高の芸術である。これらの映画を見ることはすなわち観客みずから踊り歌い、放縦な高速度恋愛をし、やたら・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・とえばド・ヴァレーズ伯爵がけしからぬ犯行の現場から下着のままで街頭に飛び出し、おりから通りかかったマラソン競走の中に紛れ込み、店先の値段札を胸におっつけて選手の番号に擬するような、卑猥であくどい茶番はヤンキー王国の顧客にはぜひとも必要なもの・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・ 現代一部の日本人をすっかりヤンキー化させたものはほとんど全く映画の力だと云っても誇張ではあるまい。実に恐るべきことである。それだのに我国の文教の枢府ではこの事実に無神経である。 映画などは不良少年少女の見るものであるといったような・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・どんな行きつまった世の中でもオリジナルなアイディアさえあればいくらでも金儲けの道はあるというのが現代のヤンキー商人のモットーであるが、この事を元禄の昔に西鶴が道破しているのである。木綿をきり売りの手拭を下谷の天神で売出した男の話は神宮外苑の・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ チューインガムは、自分には、アメリカのヤンキーズムの象徴のように思われて仕方がない。アメリカ文化の特徴がことごとくこの奇妙な物質の中に集中され包含されているような気がするのであるが、その理由は分らない。 アメリカ人には勉強家努力家・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・そうとでも仮定しなければ他に説明のしかたのないほどに、あく抜けのしたヤンキータイプを見せていた。 喫茶店などで見受ける若い男女に活動仕込みの表情姿態を見るのは怪しむまでもないが、これが四十前後の堅気な男女にまで波及して来たのだとすると、・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
出典:青空文庫