・・・ただ一品。」「ただ一品。」「貴方の小指を切って下さい。」「…………」「澄に、小指を下さいまし。」 少からず不良性を帯びたらしいまでの若者が、わなわなと震えながら、「親が、両親があるんだよ。」「私にもございますわ。・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 茶めし餡掛、一品料理、一番高い中空の赤行燈は、牛鍋の看板で、一山三銭二銭に鬻ぐ。蜜柑、林檎の水菓子屋が負けじと立てた高張も、人の目に着く手術であろう。 古靴屋の手に靴は穿かぬが、外套を売る女の、釦きらきらと羅紗の筒袖。小間物店の若・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・「旦那さん、お願だから、私に、旦那さんの身についたものを一品下んせね。鼻紙でも、手巾でも、よ。」 教授は外套を、すっと脱いだ。脱ぎはなしを、そのままお光の肩に掛けた。 このおもみに、トンと圧されたように、鞄を下へ置いたなりで、停・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ちょうど、一軒の一品料理店の前に、赤い旗が下っていた。其の店頭に立っていた女に、『舞子の町は、何の辺ですか』と聞いた。女は淋しそうな顔をしていた。『町って、別にありません』 これが、舞子か……と私は、思っていたより淋しい処であり・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・ 二郎しからばなんじにまいらすべき一品ありと、かねて用意せる貴嬢が写真のポッケットより取り出して二郎が手に渡しぬ。何心なく受け取りてかれはしばし言葉なくながめ入りぬ、月の光は冷ややかに貴嬢が姿を照らせり。 そはなんじが叔母に託して昨・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・それから、もう一品。あ、そうだ。ロココ料理にしよう。これは、私の考案したものでございまして。お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・田舎の長兄から、月々充分の金を送ってもらっていたのだが、ばかな二人は、贅沢を戒め合っていながらも、月末には必ず質屋へ一品二品を持運んで行かなければならなかった。とうとう六年目に、Hとわかれた。私には、蒲団と、机と、電気スタンドと、行李一つだ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・家事を司どる婦人には自から財産使用の権利あり、一品一物も随意にす可らずとは、取りも直さず内君は家の下婢なりと言うに等し。都て我輩の反対する所なり。一 女は我親の家をば続ず、舅姑の跡を継ぐ故に、我親よりもを大切に思ひ孝行を為べし。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・就中、その欠点の著しきものは、孝悌忠信、道徳の一品をもって人生を支配せんとするの気風、これなり。とりも直さず、塩の一味をもって人の食物に供せんとするに異ならず。塩は食物に大切なり。これを欠くべからずといえども、一味をもって生を保つべからず。・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・て、あるいは人の子を学校に入れてこれを育すれば、自由自在に期するところの人物を陶冶し出だすべしと思うが如きは、妄想のはなはなだしきものにして、その妄漫なるは、空気・太陽・土壌の如何を問わず、ただ肥料の一品に依頼して草木の長茂を期するに等しき・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
出典:青空文庫