・・・この句は蛇笏に対する評価を一変する力を具えていた。僕は「ホトトギス」の雑詠に出る蛇笏の名前に注意し出した。勿論その句境も剽窃した。「癆咳の頬美しや冬帽子」「惣嫁指の白きも葱に似たりけり」――僕は蛇笏の影響のもとにそう云う句なども製造した。・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・ 鼻 クレオパトラの鼻が曲っていたとすれば、世界の歴史はその為に一変していたかも知れないとは名高いパスカルの警句である。しかし恋人と云うものは滅多に実相を見るものではない。いや、我我の自己欺瞞は一たび恋愛に陥ったが最後、・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・後に母の母が同棲するようになってからは、その感化によって浄土真宗に入って信仰が定まると、外貌が一変して我意のない思い切りのいい、平静な生活を始めるようになった。そして癲癇のような烈しい発作は現われなくなった。もし母が昔の女の道徳に囚れないで・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・ やがて遙に能生を認めたる辺にて、天色は俄に一変せり。――陸は甚だ黒く、沖は真白に。と見る間に血のごとき色は颯と流れたり。日はまさに入らんとせるなり。 ここ一時間を無事に保たば、安危の間を駛する観音丸は、恙なく直江津に着すべきなり。・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・が、幕府が瓦解し時勢が一変し、順風に帆を揚げたような伊藤の運勢が下り坂に向ったのを看取すると、天性の覇気が脱線して桁を外れた変態生活に横流した。椿岳の生活の理想は俗世間に凱歌を挙げて豪奢に傲る乎、でなければ俗世間に拗ねて愚弄する乎、二つの路・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 世界の歴史に特筆されべき二大戦役を通過した日本の最近二十五ヵ年間は総てのものを全く一変して、恰も東京市内に於ける旧江戸の面影を尽く亡ぼして了ったと同様に、有らゆる思想にも亦大変革を来したが、生活に対する文人の自覚は其の重なる事象の一つ・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ それ以来、私の小説に対する考は全く一変してしまった。それまでは文学を軽視し、内心「時間潰し」に過ぎない遊戯と思いながら面白半分の応援隊となっていたが、それ以来かくの如き態度は厳粛な文学に対する冒涜であると思い、同時に私のような貧しい思・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・しかし植林成功後のかの地の農業は一変しました。夏期の降霜はまったく止みました。今や小麦なり、砂糖大根なり、北欧産の穀類または野菜にして、成熟せざるものなきにいたりました。ユトランドは大樅の林の繁茂のゆえをもって良き田園と化しました。木材を与・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・忘却は総てのものに……永久の苦しみも喜びも、その人の人生観を一変させるほどの失恋の苦悩でも……を、やはり時が経てば、昔のそれのようにさせない。最愛の子を失うた親の悲しみも、月日が経てば忘れ得る。総ては時の裁断に待つのみだ。たゞ人間の理想も幸・・・ 小川未明 「波の如く去来す」
・・・ 嫉妬は閨房の行為に対する私の考えを一変させた。日常茶飯事の欠伸まじりに倦怠期の夫婦が行う行為と考えてみたり、娼家の一室で金銭に換算される一種の労働行為と考えてみたりしたが、なお割り切れぬものが残った。円い玉子も切りようで四角いとはいう・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫