・・・もとよりわたくしの一存には覚えのないことばかりでございますが。……」 古千屋は両手をついたまま、明かに興奮しているらしかった。それはまた彼女のやつれた姿にちょうど朝日に輝いている薄ら氷に近いものを与えていた。「善い。善い。もう下って・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・ところが、修理は、これを聞くと、眼の色を変えながら、刀の柄へ手をかけて、「佐渡守殿は、別して、林右衛門めを贔屓にせられるようでござるが、手前家来の仕置は、不肖ながら手前一存で取計らい申す。如何に当時出頭の若年寄でも、いらぬ世話はお置きなされ・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・……無理も道理も、老の一存にはならぬ事じゃ。いずれはお姫様に申上ぎょうが、こなた道理には外れたようじゃ、無理でのうもなかりそうに思われる、そのしかえし。お聞済みになろうか。むずかしいの。」「御鎮守の姫様、おきき済みになりませぬと、目の前・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・植通も泉州の堺、――これは富商のいた処である、あるいはまた西方諸国に流浪し、聟の十川(十川一存を見放つまいとして、しんしんの身ながらに笏や筆を擱いて弓箭鎗太刀を取って武勇の沙汰にも及んだということである。 この人が弟子の長頭丸に語った。・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・だから、それはそれとして、私の一存であなたを連れて行くのです。なに、大丈夫です。」「あぶないな。」私は気が重かった。「のこのこ出掛けて行って、玄関払いでも食わされて大きい騒ぎになったら、それこそ藪蛇ですからね。も少し、このまま、そっとし・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・でも、あとで、あなたにお伺いして、それは、あなたの全然ご存じなかった事で、すべては但馬さんの忠義な一存からだったという事が、わかりました。但馬さんには、ずいぶんお世話になりました。いまの、あなたの御出世も、但馬さんのお蔭よ。本当に、あなたに・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・「そりゃそう言ったかも知れないけど、あのひとの一存では、きめられませんよ。私のほうにも都合があります。」「どんな都合?」「そんな事は、お前さんに言う必要は無い。」「パンパンに貸すのか?」「そうでしょう。」「姉さん、僕・・・ 太宰治 「犯人」
・・・その人はわたくしの一存では賠償金の多寡は即答する事ができないと云うので、結局はなしはまとまらず、山本さんと僕とは空しく退出した。そして三四日の後、山本さんの手から賠償金数千円を支払うことになった。僕が小石川のはずれまでぺこぺこ頭を下げに行っ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・細君の答に「御申越の借家は二軒共不都合もなき様被存候えば私倫敦へ上り候迄双方共御明け置願度若し又それ迄に取極め候必要相生じ候節は御一存にて如何とも御取計らい被下度候とあった。カーライルは書物の上でこそ自分独りわかったような事をいうが、家をき・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ 家中の責任を皆背負って立っている自分、この自分がいるばかりにようよう哀れな亭主も子供達も生きていられるのだという自信に、少なからず誇りを感じていた彼女は、何の価値も全然認め得ない彼が、一存で礼を突返して来たということ――無能力者の僭越・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫