・・・ しかし、硝子を飛び、風に捲いて、うしろざまに、緑林に靡く煙は、我が単衣の紺のかすりになって散らずして、かえって一抹の赤気を孕んで、異類異形に乱れたのである。「きみ、きみ、まだなかなかかい。」「屋根が見えるでしょう――白壁が見え・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ために大地は熱し、石は焼け、瓦は火を発せんばかりとなり、そして、河水は渇れ、生命あるもの、なべてうなだれて見えるのに、一抹の微小なる雲が、しかも太陽直下の大空に生れて成長するのを、私は不思議とせずにいられないのだ。 社会について考えるも・・・ 小川未明 「常に自然は語る」
・・・かくて人々深き眠りに入り夜ふけぬれど、この火のみはよく燃えつ、炎は小川の水にうつり、煙はますぐに立ちのぼりて、杉の叢立つあたりに青煙一抹、霧のごとくに重し。 夜はいよいよふけ、大空と地と次第に相近づけり。星一つ一つ梢に下り、梢の露一つ一・・・ 国木田独歩 「星」
・・・という言葉が耳にはいってこの花の視像をそれと認識すると同時に、一抹の紫色がかった雰囲気がこの盛り花の灰色の団塊の中に揺曳するような気がした。驚いて目をみはってよく見直してもやっぱりこの紫色のかげろいは消失しない。どうしても客観的な色彩としか・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・遠くから見ると吉野紙のようでもありまた一抹の煙のようでもある。手に取って見ると、白く柔らかく、少しの粘りと臭気のある繊維が、五葉の星形の弁の縁辺から放射し分岐して細かい網のように広がっている。つぼんでいるのを無理に指先でほごして開かせようと・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・遠くから見ると吉野紙のようでもありまた一抹の煙のようでもある。手に取って見ると、白く柔らかく、少しの粘りと臭気のある繊維が、五葉の星形の弁の縁辺から放射し分岐して細かい網のように拡がっている。莟んでいるのを無理に指先でほごして開かせようとし・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・このまとまらない考察の一つの収穫は、今まで自分など机上で考えていたような楽観的な科学的災害防止可能論に対する一抹の懐疑である。この疑いを解くべきかぎはまだ見つからない。これについて読者の示教を仰ぐことができれば幸いである。・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・偏光を生じるニコルのプリズムを通して白壁か白雲の面を見ると、妙なぼんやりした一抹の斑点が見える。すすけた黄褐色の千切り形あるいは分銅形をしたものの、両端にぼんやり青みがかった雲のようなものが見える。ニコルを回転すると、それにつれて、この斑点・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・煙は次第次第に乱れて拡散して、やがてただ一抹の薄い煙になってやがて消えてしまった。 花火船の艫にしゃがんでいた印半纏の老人は、そこに立ててあった、赤地に白く鍵屋と染め出した旗を抜いて、頭の上でぐるぐると大きく振り廻した。もうおしまいとい・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・天の一方には弦月が雲間から寒い光を投げて直下の海面に一抹の真珠光を漾わしていた。 青森から乗った寝台車の明け方近い夢に、地下室のような処でひどい地震を感じた。急いで階段を駈け上がろうとすると、そこには子供を連れた婦人が立ちふさがっていて・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
出典:青空文庫