出典:青空文庫
・・・が、その間でも絶えず気になったのは、誰かが自分の一挙一動をじっと見つめているような心もちで、これは寝ていると起きているとに関らず、執念深くつきまとっていたそうです。現に午過ぎの三時頃には、確かに二階の梯子段の上り口に、誰か蹲っているものがあ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・けれども彼の神経は、知らず/\、妻の一挙一動に引きつけられた。お里は小便をすますと、また納屋へ行って、こそ/\していた。そして、暫らくして台所へ這入って来た。 清吉は眼をつむって、眠むった振りをしていた。妻は、風呂敷包を片隅に置いて外へ・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・ 四 熱帯魚 いろいろな熱帯魚をよく見ていると、種類によってやはり一挙一動にそれぞれの特徴があるように思われて来る。それを些細に観察していると三十分ぐらいの時間をつぶすのははなはだ容易である。 熱帯魚を見物したあ・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ 親切であるために人の一挙一動は断えず注意深い目で四方から監視されている。たとえば何月何日の何時ごろに、私がすすけた麦藁帽をかぶって、某の橋を渡ったというような事実が、私の知らない人の口から次第に伝わって、おしまいにはそれが私の耳にもは・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・おおぜいが車座になってこの新しい同棲者の一挙一動を好奇心に満たされて環視しているのであった。猫に関する常識のない私にはすべてただ珍しい事ばかりであった。妻が抱き上げて顋の下や耳のまわりをかいてやると、胸のあたりで物の沸騰するような音を立てた・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・其の時分の書生のさまなぞ、今から考えると、幕府の当時と同様、可笑しい程主従の差別のついて居た事が、一挙一動思出される。 何事にも極く砕けて、優しい母上は田崎の様子を見て、「あぶないよ、お前。喰いつかれでもするといけないから、お止しな・・・ 永井荷風 「狐」
・・・けられたる料理屋の座敷に上っては、掛物と称する絵画と置物と称する彫刻品を置いた床の間に、泥だらけの外套を投げ出し、掃き清めたる小庭に巻煙草の吸殻を捨て、畳の上に焼け焦しをなし、火鉢の灰に啖を吐くなぞ、一挙一動いささかも居室、家具、食器、庭園・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・これから毎日毎日いやな思いばかりするのかと思いながら、善吉が自分の前に酒を飲んでいる、その一挙一動がことごとく眼に見えていて、これがその人であッたならと、覚えず溜息も吐かれるのである。 吉里は悲しくもあり、情なくもあり、口惜しくもあり、・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・従い女子に向て所望すれば、起居挙動の高尚優美にして多芸なるは御殿女中の如く、談笑遊戯の気軽にして無邪気なるは小児の如く、常に物理の思想を離れず常に経済法律の要を忘れず、深く之を心に蔵めて随時に活用し、一挙一動一言一話活溌と共に野鄙ならずして・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・然るに、時運の然らしむるところ、人民、字を知るとともに大いに政治の思想を喚起して、世事ようやく繁多なるに際し、政治家の一挙一動のために、併せて天下の学問を左右進退せんとするの勢なきに非ず。実に国のために歎ずるに堪えずとて、福沢先生一篇の論文・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」