・・・が、政治的天才は常に大義そのものには一文の銭をも抛たないものである。唯民衆を支配する為には大義の仮面を用いなければならぬ。しかし一度用いたが最後、大義の仮面は永久に脱することを得ないものである。もし又強いて脱そうとすれば、如何なる政治的天才・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・「その代り向う二十年の間は、一文も御給金はやらないからね。」「はい。はい。承知いたしました。」 それから権助は二十年間、その医者の家に使われていました。水を汲む。薪を割る。飯を炊く。拭き掃除をする。おまけに医者が外へ出る時は、薬・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・「俺ら銭こ一文も持たねえからちょっぴり借りたいだが」 赤坊の事を思うと、急に小銭がほしくなって、彼れがこういい出すと、帳場は呆れたように彼れの顔を見詰めた、――こいつは馬鹿な面をしているくせに油断のならない横紙破りだと思いながら。そ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ところがこの論理の不徹底な、矛盾に満ちた、そして椏者の言葉のように、言うべきものを言い残したり、言うべからざるものを言い加えたりした一文が、存外に人々の注意を牽いて、いろいろの批評や駁撃に遇うことになった。その僕の感想文というのは、階級意識・・・ 有島武郎 「片信」
・・・神業と思うにや、六部順礼など遠く来りて賽すとて、一文銭二文銭の青く錆びたるが、円き木の葉のごとくあたりに落散りしを見たり。深く山の峡を探るに及ばず。村の往来のすぐ路端に、百姓家の間にあたかも総井戸のごとくにあり。いつなりけん、途すがら立寄り・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・「あらア人をばかにして、……そんならわたしが負けたら一文膏薬を省さんにあげべい。ハハハハ」 仕事着といっても若いものたちには、それぞれ見えがある。省作は無頓着で白メレンスの兵児帯が少し新しいくらいだが、おはまは上着は中古でも半襟と帯・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・椿岳の泥画 椿岳の泥画というは絵馬や一文人形を彩色するに用ゆる下等絵具の紅殻、黄土、丹、群青、胡粉、緑青等に少量の墨を交ぜて描いた画である。そればかりでなく泥面子や古煉瓦の破片を砕いて溶かして絵具とし、枯木の枝を折って筆とした事もあ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・それで一文の銭もなし家産はことごとく傾き、弟一人、妹一人持っていた。身に一文もなくして孤児です。その人がドウして生涯を立てたか。伯父さんの家にあってその手伝いをしている間に本が読みたくなった。そうしたときに本を読んでおったら、伯父さんに叱ら・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 金なんか一文もあるものかね。資本だって何だって、皆佃の方から廻してもらってやってるんだもの、私たちはいわば佃の出店を預ってるようなものさ」「そりゃどうだか知らねえが、何しろ新さんはお光さんてえいいお上さんを持って……ねえ、こいつは金で・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・針中野まで何里……あるかもわからぬ遠さにあきれていると、実は、私は和歌山の者ですが、知人を頼って西宮まで訪ねて行きましたところ、針中野というところへ移転したとかで、西宮までの電車賃はありましたが、あと一文もなく、朝から何も食べず、空腹をかか・・・ 織田作之助 「馬地獄」
出典:青空文庫