・・・女は慇懃に手を突いて、「それでは、お緩り御寝みなさいまし、まだお早うございますから、私共は皆起きております、御用がございましたら御遠慮なく手をお叩き遊ばして、それからあのお湯でございますが、一晩沸いておりますから、幾度でも御自由に御入り・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ そういわれても、おとよはさすがに寝てもいられず部屋を出た。一晩のうちにも痩せが目につくようである。父は奥座敷でぽんぽん煙草を吸って母と話をしている。おとよは気が引けるわけもないけれども、今日はまた何といわれるのかと思うと胸がどきまぎし・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
生活上のある必要から、近い田舎の淋しい処に小さな隠れ家を設けた。大方は休日などの朝出かけて行って、夕方はもう東京の家へ帰って来る事にしてある。しかしどうかすると一晩くらいそこで泊るような必要が起るかもしれな・・・ 寺田寅彦 「石油ランプ」
・・・ ねずみ捕りの方も、痛いやら、しゃくにさわるやら、ガタガタ、ブルブル、リュウリュウとふるえました。一晩そうやってとうとう朝になりました。 顔のまっ赤な下男が来て見て、こおどりして言いました。「しめた。しめた。とうとう、かかった。・・・ 宮沢賢治 「ツェねずみ」
・・・ つまりシグナルがさがったというだけのことです。一晩に十四回もあることなのです。 ところがそのつぎが大へんです。 さっきから線路の左がわで、ぐゎあん、ぐゎあんとうなっていたでんしんばしらの列が大威張りで一ぺんに北のほうへ歩きだし・・・ 宮沢賢治 「月夜のでんしんばしら」
・・・地方そのものの文化的創造力は高めようとされず、その性格をより充実させ、高貴ならしめようとは援助されず、ただ、欲求だけをもっていて、それと引かえに与えられるいかがわしい一冊の本であった。一晩の観劇に対して、無抵抗に支払うものとしてだけ扱われて・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
・・・素敵な水浴場もある。一晩ゆっくり楽しんだって、隅から隅までは見きれるものじゃない。 白い木綿や麻のルバシカを着たソヴェトのプロレタリアートに支那人もコーカサス人もグルジヤ人も混って、愉快に大衆遊戯などやってる光景は、実に世界に二つとない・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の夏休み」
出典:青空文庫