・・・して落込みはしないかとびくびくしている人間が存外生涯を無事に過ごすことがある一方で、そういう罪悪とおよそ懸けはなれたと思われる清浄無垢の人間が、自分も他人も誰知らぬ間に駆足で飛んで来てそうした淵の中に一目散に飛込んでしまうこともあるようであ・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・飛び降りたばかりではありません、飛び降りていきなり下駄を握って一目散に逃げ出しました。だから一口も叱られもせずまた捉まえられもせずに済んでしまった。これは唯自分で覚えているだけで人に話した事はありません、今日初めて位のものでありますが、この・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・塔橋を渡ってからは一目散に塔門まで馳せ着けた。見る間に三万坪に余る過去の一大磁石は現世に浮游するこの小鉄屑を吸収しおわった。門を入って振り返ったとき、憂の国に行かんとするものはこの門を潜れ。永劫の呵責に遭わんとするものはこの門を・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 秋の海名も無き島のあらはるゝ これより一目散に熱海をさして走り下りるとて草鞋の緒ふッつと切れたり。 草鞋の緒きれてよりこむ薄かな 末枯や覚束なくも女郎花 熱海に着きたる頃はいたく疲れて飢に逼りけれども層楼高・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ そこでルラ蛙はもう昔習った六百米の奥の手を出して一目散にお父さんのところへ走って行きました。するとお父さんたちはお酒に酔っていてみんなぐうぐう睡っていていくら起しても起きませんでした。そこでルラ蛙はまたもとのところへ走ってきてまわりを・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。 すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。「いやどうも・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・それから元気よく口笛を吹きながらパン屋へ寄ってパンの塊を一つと角砂糖を一袋買いますと一目散に走りだしました。三、家 ジョバンニが勢よく帰って来たのは、ある裏町の小さな家でした。その三つならんだ入口の一番左側には空箱に紫いろの・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 進んで行った鹿は、首をあらんかぎり延ばし、四本の脚を引きしめ引きしめそろりそろりと手拭に近づいて行きましたが、俄かにひどく飛びあがって、一目散に遁げ戻ってきました。廻りの五疋も一ぺんにぱっと四方へちらけようとしましたが、はじめの鹿が、・・・ 宮沢賢治 「鹿踊りのはじまり」
・・・猫は嘉ッコの手から滑り落ちて、ぶるるっとからだをふるわせて、それから一目散にどこかへ走って行ってしまいました。「ガリガリッ、ゴロゴロゴロゴロ。」音は続き、それからバァッと表の方が鳴って何か石ころのようなものが一散に降って来たようすです。・・・ 宮沢賢治 「十月の末」
・・・ それから俄かに立って一目散に遁げ出しました。三つ森山の方へまるで一目散に遁げました。 土神はそれを見て又大きな声で笑いました。その声は又青ぞらの方まで行き途中から、バサリと樺の木の方へ落ちました。 樺の木は又はっと葉の色をかえ・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
出典:青空文庫