・・・が、蔵前の煙突も、十二階も、睫毛に一眸の北の方、目の下、一雪崩に崕になって、崕下の、ごみごみした屋根を隔てて、日南の煎餅屋の小さな店が、油障子も覗かれる。 ト斜に、がッくりと窪んで暗い、崕と石垣の間の、遠く明神の裏の石段に続くのが、大蜈・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・されば林とても数里にわたるものなく否、おそらく一里にわたるものもあるまい、畑とても一眸数里に続くものはなく一座の林の周囲は畑、一頃の畑の三方は林、というような具合で、農家がその間に散在してさらにこれを分割している。すなわち野やら林やら、ただ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・えるあり、長江をへだてて晴川閣と何事か昔を語り合い、帆影点々といそがしげに江上を往来し、更にすすめば大別山の高峰眼下にあり、麓には水漫々の月湖ひろがり、更に北方には漢水蜿蜒と天際に流れ、東洋のヴェニス一眸の中に収り、「わが郷関何れの処ぞ是な・・・ 太宰治 「竹青」
・・・開け放した縁側から、遠くの山々や、山々の上の空の雲が輝いているのまで一眸に眺められた。静かな、闊やかな、充実した自然がかっちり日本的な木枠に嵌められて由子の前にある。全く、杉森をのせ、カーバイト会社の屋根の一部を見せ、遠く遠くとひろがる田舎・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・濡れた屋根屋根、それを越すと、煙った湾内の風光が一眸におさめられる。佇んでこれ等の遠望を恣にして居るうちに、私は不図、海路平安とだけ刻まれた四字の間から、海上はるかに思をやった明末の帰化人の無言の郷愁を犇と我心にも感じたように思った。・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
出典:青空文庫