・・・きょう僕は疲れて大へん疲れて字も書きづらいのですが、急に君へ手紙を出す必要をその中で感じましたので一筆。お正月は大和国桜井へかえる。永野喜美代。」「君は、君の読者にかこまれても、赤面してはいけない。頬被りもよせ。この世の中に生きて行くた・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・日本刀をきたえる気持ちで文を草している。一筆三拝。 文章を無為に享楽する法を知らぬ。やたらに深刻をよろこぶ。ナンセンスの美しさを知らぬ。こ理くつが多くて、たのしくない。お月様の中の小兎をよろこばず、カチカチ山の小兎を愛している。カチ・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・と聞いたり、ほおじろのさえずりを「一筆啓上仕候」と聞いたりすることが、うっかりは非科学的だと言って笑われないことになるかもしれない。ともかくも、人間の音声に翻訳した鳥の鳴き声と、本物とのレコードをたんねんに比較してみるという研究もそれほどつ・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・あまり凝りすぎてもからだにさわるから午前だけにしたいと思ったが、午前中に一段片付けたつもりで昼飯を食いながらながめていると間違った所が目について気になりだす、もう一筆と思ううちにとうとう午後の時間が容赦なくたってしまう。 それでも少しず・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・一筆書き残しまいらせ候。よんどころなく覚悟を極め申し候。不便と御推もじ願い上げまいらせ候。平田さんに済み申さず候。西宮さんにも済み申さず候。お前さまにも済みませぬ。されど私こと誠の心は写真にて御推もじ下されたくくれぐれもねんじ上・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・しかし、今夜は眠る前ぜひ一筆かきたい。けさついた七月二十五日づけのお手紙のお礼を。 あれはまるであなたのごく近くに坐って話をしているような心持を私に起させました。あなたが健康について云っていらっしゃること、又差入れについて云っていらっし・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 自分の心臓からとばしり出る血を絵の具にして尊い芸術を――不朽の芸術を完成して最後の一筆を加え終ると同時死んだ画家の気持をどの芸術家にでも持ってもらいたいと思う。 その画家が若かったか老いて居たかは私は知らないけれ共だれでもが生と死・・・ 宮本百合子 「無題(二)」
・・・生れつき弱い赤坊であったことが書かれているが、兄妹について一筆も触れられていないところを見ると一人息子であったのだろうか。体の弱い勇造は高等小学校を卒業するとすぐ浅草の方の呉服屋へ奉公にやられた。奉公がいやでたまらず、本を読むことが好きな上・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫