・・・そこから斜に濃い藍の一線を曳いて、青い空と一刷に同じ色を連ねたのは、いう迄もなく田野と市街と城下を巻いた海である。荒海ながら、日和の穏かさに、渚の浪は白菊の花を敷流す……この友禅をうちかけて、雪国の町は薄霧を透して青白い。その袖と思う一端に・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・が、応挙や探幽の大作の全部を集めて捜しても決して発見されない椿岳独特の一線一画がある。椿岳には小さいながらも椿岳独自の領分があって、この領分は応挙や探幽のような巨匠がかつて一度も足を踏入れた事のない処女地であった。縦令この地域は狭隘であり磽・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・車を下りし時は霧雨やみて珍しくも西の空少しく雲ほころび蒼空の一線なお落日の余光をのこせり。この遠く幽かなる空色は夏のすでに近きを示すがごとく思われぬ。されど空気は重く湿り、茂り合う葉桜の陰を忍びにかよう風の音は秋に異ならず、木立ちの夕闇は頭・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・危ないと車掌が絶叫したのも遅し早し、上りの電車が運悪く地を撼かしてやってきたので、たちまちその黒い大きい一塊物は、あなやという間に、三、四間ずるずると引き摺られて、紅い血が一線長くレールを染めた。 非常警笛が空気を劈いてけたたましく鳴っ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・それから、富士の頂近く水平に一線を劃しておいて、さてこういう説明をしたそうである。「孔子の教えではここにこういう天井がある。それで麓の亀もよちよち登って行けばいつかは鶴と同じ高さまで登れる。しかしこの天井を取払うと鶴はたちまち冲天に舞上がる・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・場合によっては数の大きいほどいいこともありまた場合によっては少ないほどすぐれていることもあるが、とにかく一線の上に連続的に配列された数量の尺度によって優劣をきめるのである。こうしなければ優劣は単義的に決定しない。従ってレコードは設定されず、・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・水平に一線を画した高架線路の上を省線電車が走り、時に機関車がまっ白な蒸気を吐いて通る。それと直交し弓なりに立って見える呉服橋通りの道路を、緑色の電車のほかに、白、赤、青、緑のバスが奇妙な甲虫のようにはい上りはいおり行きちがっている。遠くには・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・けれども一線一画の瞬間作用で、優に始末をつけられべき特長を、とっさに弁ずる手際がないために、やむをえず省略の捷径を棄てて、几帳面な塗抹主義を根気に実行したとすれば、拙の一字はどうしても免れがたい。 子規は人間として、また文学者として、最・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・たとえば一線の引き方でも、勢いがあって画家の意志に対する理想を示す事もできますし、曲り具合が美に対する理想をあらわす事もできますし、または明暸で太い細いの関係が明かで知的な意味も含んでおりましょうし、あるいは婉約の情、温厚な感を蓄える事もあ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・たちは、当局のそのおどかしをなにかの楯として、自分たちと旧プロレタリア文学運動に属していた人々との間に越えがたい一線があるかのように行動した。この方法は誰のためにもならなかった。というのは、当時文学者として自分ぐらいの者になっているものはい・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
出典:青空文庫