・・・その何か奇異な深夜の天象を、花は白く満開のまま、一輪も散らさず、見守っている。―― この花ばかりではない。第一には若葉のひろがりにしてもそうだ。この山名物のつつじにしてもそうだ。北方の春は短かく一時に夏景色になるわけなのに、この高原では・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・床柱も、そこの一輪差しに活けられている黄菊の花弁の冷たささえも頬に感じられて来るような室の底冷える空気である。 暫くぽつんとしていると、廊下のあっちの方で、「お客様にお火をさしあげて?」と云っている尚子のきき馴れた高い声がした。・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・それが夜の間に豊かな春を呼吸して、一輪は殆ど満開に、もう一輪、心を蕩かすような半開の花が露を帯びて匂っている。年来生活の活々した流れや笑を失った家と庭にはどこやらあらそえない沈滞が不健康にくろずみ澱んでいる。そこへただ一点、精気を凝して花弁・・・ 宮本百合子 「牡丹」
出典:青空文庫