・・・――余が決断を促がす動機の一部分をも形づくらなかったからである。尤も先生がこれら知名の人の名を挙げたのは、辞任の必ずしも非礼でないという実証を余に紹介されたまでで、これら知名の人を余に比較するためでなかったのは無論である。 先生いう、―・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・されば芸術品の表装は、我等の作品の一部分であるにかかはらず、その実我等自身の趣味に属してゐないもの、むしろ多くの場合それは他人の趣味に属してゐる。しかしてこの一つの奇異なる事実――それが他人の趣味によつて選定されるといふこと――が、美術品や・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・人あるいはこの諸件の変革を見て、その原因を王政維新の一挙に帰し、政府をもって人事百般の源となし、その心事の目的を政府の一方に定めて、他をかえりみざる者多しといえども、余輩の考には政府もまた、ただ人事の一部分にして、その旧政府を改めて新政府を・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 政治の事、はなはだ大切なりといえども、これは人民一般普通の心得にして、ここに政治家と名づくるものは、一家専門の業にして、政権の一部分を手にとり、身みずから政事を行わんとする者なれば、その有様は、工商がその家業を営み、学者が学問に身を委・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ 右の五ヶ条は、いやしくも人間と名の附く動物にして社会の一部分を務むるものは、必ずともに行うべき仕事なり。この仕事をさえ充分に成し得れば、人間社会の一人たるに恥ずることなかるべし。然りといえども今の文明の有様にては、充分を希望するはとて・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・ただ俳句十七字の小天地に今までは辛うじて一山一水一草一木を写し出だししものを、同じ区劃のうちに変化極まりなく活動止まざる人世の一部分なりとも縮写せんとするは難中の難に属す。俳句に人事的美を詠じたるもの少きゆえんなり。芭蕉、去来はむしろ天然に・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・マルクス=エンゲルス全集というと、その書籍を飾っておくこともその一部分をよんだということも一つのこけおどしであった時代はとうにすぎ去っている。 私は「資本論」をよみとおすことはできなかったけれども、他の部分では、作家として、女として、多・・・ 宮本百合子 「生きている古典」
・・・ 皺のある大きい老職工の顔のかぶさった肉体的な全容積と頑固な形をしているくせにその仕事にかけての巧妙さを語る大きい手先とが、小さな覗き眼鏡の円筒を中心として、その小さい道具を既に生理の一部分にとかしこんでいるような吸着力で捉えられている・・・ 宮本百合子 「ヴォルフの世界」
・・・ゆえに彼女の芸は深い底から湧いて出るようで、胸の奥にある深い秘密の一部分しか現わしていないように思われる。従って泣いたり怒ったりした後にその顔に残っている幽鬱な感じがたまらなくよい。 デュウゼは意識した美辞によって見物を刺激するのではな・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・ 楓だけでもそれぐらいであるが、東山の落葉樹から見れば楓はほんの一部分である。新緑のころ、東山の常緑樹の間に点綴されていかにも孟春らしい感じを醸し出す落葉樹は、葉の大きいもの、中ぐらいのもの、小さいものといろいろあったが、それらは皆同じ・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫