・・・どうせ帰れば近所近辺、一門一類が寄って集って、」 と婀娜に唇の端を上げると、顰めた眉を掠めて落ちた、鬢の毛を、焦ったそうに、背へ投げて掻上げつつ、「この髪をむしりたくなるような思いをさせられるに極ってるけれど、東京へ来たら、生意気ら・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・その大恩のある鷭の一類が、夫も妻も娘も忰も、貸座敷の亭主と幇間の鉄砲を食って、一時に、一百二三十ずつ、袋へ七つも詰込まれるんでは遣切れない。――深更に無理を言ってお酌をしてもらうのさえ、間違っている処へ、こんな馬鹿な、無法な、没常識な、お願・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・で、大善でもない、大悪でもない、いわゆる平凡の人物でありますが、これらの三種の人物中、第一類の善良なる人物は、疑いも無く作者たる馬琴および当時の実社会の善良なる人物の胸中の人物であります。もとより人の胸中の人物でありますから、その通りの人物・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・これは我が国の上流、殊に西洋家と称する一類の中に行わるる言なれども、全く無力の遁辞口実たるに過ぎず。そもそも人生の気力を平均すれば至って弱き者にして、ややもすれば艱難に敵して敗北すること少なからざるの常なり。然るに内行を潔清に維持して俯仰慚・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・この時に当りて徳川家の一類に三河武士の旧風あらんには、伏見の敗余江戸に帰るもさらに佐幕の諸藩に令して再挙を謀り、再挙三拳ついに成らざれば退て江戸城を守り、たとい一日にても家の運命を長くしてなお万一を僥倖し、いよいよ策竭るに至りて城を枕に討死・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・もっと面白いのはここにビジテリアンという一類が動物をたべないと云っている。神の摂理である善である然るに何故にマットン博士は東洋流に形容するならば怒髪天を衝いてこれを駁撃するか。ここに至って畢竟マットン博士の所説は自家撞着に終るものなることを・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫