・・・を守られざるは、再三御忠告……貴下が今日に至るまで、何等断乎たる処置に出でられざるは……されば夫人は旧日の情夫と共に、日夜……日本人にして且珈琲店の給仕女たりし房子夫人が、……支那人たる貴下のために、万斛の同情無き能わず候。……今後もし夫人・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・噴火孔から吹き出す幾万斛の煙りは卍のなかに万遍なく捲き込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲り渡る。「おい。いるか」「いる。何か考えついたかい」「いいや。山の模様はどうだい」「だんだん荒れるばかりだよ」「今日は何日だっ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・と題せざるべからざるもの、その裏面には実に万斛の涕涙を湛うるを見るなり。吁この不遇の人、不遇の歌。 彼と春岳との関係と彼が生活の大体とは『春岳自記』の文に詳なり。その文に曰く橘曙覧の家にいたる詞おのれにまさりて物しれ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・若者らが、この社会の不合理につき動かされて、様々の艱難にとびこんでゆく、その純な心根にこそ、先ず可憐に堪えぬ万斛の涙があろうと思う。自分が正しいと信じた上は、屈辱に堪えて私生子を生もうとした允子の心は、子に対した場合は実に俗人的になって、「・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・ 青い美しい苔が井桁の外を掩うている。 夏の朝である。 泉を繞る木々の梢には、今まで立ち籠めていた靄が、まだちぎれちぎれになって残っている。 万斛の玉を転ばすような音をさせて流れている谷川に沿うて登る小道を、温泉宿の方から数・・・ 森鴎外 「杯」
出典:青空文庫