・・・わたくしは日和下駄をはいて墓さがしをするようになっては、最早新しい文学の先陣に立つ事はできない。三田の大学が何らの肩書もないわたくしを雇って教授となしたのは、新文壇のいわゆるアヴァンガルドに立って陣鼓を鳴らさせるためであった。それが出来なく・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
左の一編は、去月廿三日、府下芝区三田慶応義塾邸内演説館において、同塾生褒賞試文披露の節、福沢先生の演説を筆記したるものなり。 余かつていえることあり。養蚕の目的は蚕卵紙を作るにあらずして糸を作るにあり、教育の・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・東京に三田あり、摂州に三田あり。兵庫の隣に神戸あれば、伊勢の旧城下に神戸あり。俗世界の習慣はとても雅学先生の意に適すべからず。貧民は俗世界の子なり。まず、骨なしの草書を覚えて廃学すればそれきりとあきらめ、都合よければ後に楷書の骨法をも学び、・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
左の一篇は、去る一三日、東京芝区三田二丁目慶応義塾邸内演説館において、福沢先生が同塾学生に向て演説の筆記なり。 学問に志して業を卒りたらば、その身そのまま即身実業の人たるべしとは、余が毎に諸氏に勧告するところ・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・「三田さん、政子さんは貴方と一緒のお家にいらっしゃったのですね」「そうでございます」 芳子さんと政子さんは、同じ一族の人々ですから、二人とも苗字は、同じで三田といいました。「貴女とは従姉妹同志ですね。政子さんの御両親はいつ頃・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・ 佐野学、鍋山貞親、三田村四郎などという今日の勤労階級の敵は三・一五事件のときの日本共産党の指導者たちであった。 同じ三・一五の被告であった徳田球一、志賀義雄などの人々が、永い獄中生活にもかかわらず、一九四五年十月に解放されてからす・・・ 宮本百合子 「共産党とモラル」
・・・ しかし、短篇であるにしろ従来の私的身辺小説であるまいとする努力はすべての作家の念頭から離れず、一方で三田伸六、車膳六その他の主人公たちが生まれるとともに、他の一面では多くの作家の眼が、今日の生活の前方や右左へ強い観察を放つよりもむしろ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・等、いずれも能動精神を作品において具体化しようと試みられて、当時問題作とされたものであり、三田文学に連載中であった石坂洋次郎氏の「若い人」もやはりその作品のもつ行動性という点で、注目をひいたのであった。 現実生活の内部の矛盾は、行動主義・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・という題で『三田新聞』に小田嶽夫氏の書いている文章をよみ、それと腹合わせに「創生記」を読み、私は鼻の奥のところに何ともいえぬきつい苦痛な酸性の刺戟を感じた。昔の人は酸鼻という熟語でこの感覚を表現した。更に「地底の墓」「落日の饗宴」とを読み、・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・ 石坂洋次郎が去年から『三田文学』に連載している「若い人」は、はなはだしく一般の注目をひいて以来「馬骨団始末記」「豆吉登場」などつづけて作品が発表されるに至ったのは、以上のように純文学の新生を期しながら、作家たちの実生活、創作活動は・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
出典:青空文庫