・・・たった三里くらいの彼方のわが家も、こうした入江で距てられていると、ひどく遠いところのように思われたのであった。その後故郷を離れて熊本に住み、東京に移り、また二年半も欧米の地を遍歴したときでも、この中学時代の海水浴の折に感じたような郷愁を感じ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・「御宮までは三里でござりまっす」「山の上までは」「御宮から二里でござりますたい」「山の上はえらいだろうね」と碌さんが突然飛び出してくる。「ねえ」「御前登った事があるかい」「いいえ」「じゃ知らないんだね」「・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・はたと困じ果ててまたはじめの旅亭に還り戸を叩きながら知らぬ旅路に行きくれたる一人旅の悲しさこれより熱海までなお三里ありといえばこよいは得行かじあわれ軒の下なりとも一夜の情を垂れ給えといえども答なし。半ばおろしたる蔀の上より覗けば四、五人の男・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・家を出でて土筆摘むのも何年目病床を三里離れて土筆取 それから更に嬉しかったことは、その次の日曜日にまた碧梧桐が家族と共に向島の花見に行くというので、母が共に行かれたことである。花盛りの休日、向島の雑鬧は思いやられるので、・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 中山街道はこのごろは誰も歩かないから蕗やいたどりがいっぱいに生えたり牛が遁げて登らないように柵をみちにたてたりしているけれどもそこをがさがさ三里ばかり行くと向うの方で風が山の頂を通っているような音がする。気をつけてそっちを見ると何だか・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・ 町ではこの一ヵ月ほど前から、――町架空索道株式会社というものが新しく組織されて、町外れに、停留場とでもいうのか、索道の運転を司りながら、貨物の世話をするところを建てていた。 三里ほど山中の、至って交通の不便な部落から、切石、鉱石、・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ラ狐つかまえた――皮はごか――やれ煮て食おか廻りかねたる智恵助に憂き目を見せてござるうちこすい狐はうまうまとばかしおおせて猟人をあちら、こちらと、引き廻す西へ五里、東へ三里とあゆむうちでっかい沼についた時・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・「ホウ、三里四方でありますか?」そういう対手も耳が遠いが曾祖母もやっぱり同様なので、おとなしく「ハイ、そうであります」と答えている。祖母にはそれがつくづくおかしかったと見え、ふざけることの下手な正直者であったが、切下髪を動して「ハイ、そうで・・・ 宮本百合子 「明治のランプ」
・・・それから露に湿った三里の山路を馳け続けた。「馬車はまだかのう?」 彼女は馭者部屋を覗いて呼んだが返事がない。「馬車はまだかのう?」 歪んだ畳の上には湯飲みが一つ転っていて、中から酒色の番茶がひとり静に流れていた。農婦はうろう・・・ 横光利一 「蠅」
・・・サアお出だというお先布令があると、昔堅気の百姓たちが一同に炬火をふり輝らして、我先と二里も三里も出揃って、お待受をするのです。やがて二頭曳の馬車の轟が聞えると思うと、その内に手綱を扣えさせて、緩々お乗込になっている殿様と奥様、物慣ない僕たち・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫